見出し画像

大学職員と私③-1年目

学生支援部署に配属されて驚いたのは、クラブ・サークルと学生支援部署の関係性だった。中学・高校での生徒会的な役割を、学生支援部署が担っているのだ。
通常の大学では、「自治会」というものがあり、そこがクラブ・サークルをまとめる。各サークルの意見や施設利用状況をとりまとめたり、学生会費として学費と一緒に徴収されたお金を各クラブ・サークルに分配している。この学生会費欲しさに、かつては大学の自治会にセクトや活動家が入り込んでおり、私が入職した頃は、市ヶ谷にある某H大は木造の学生会館が残っており、自治会という名のセクトがまだ存命?だったりした。研修でH大に行ったとき、うっかり足を踏み入れそうになり、職員の方に厳重注意された。


私の入職した大学はこの自治会がないため、すべてのクラブ・サークルと学生支援部署が個別につながる形をとっており、各クラブ・サークルとの毎年の面談、各施設の利用受付(運動系、音楽系、劇団系など使用する施設ごとに受付時の調整会議などがあり、学生支援部署の職員はそれらにすべて参加していた)などを行っていた。自治会は学生運動の時になくなり、自治会費は大学として徴収していないため、特にお金を分配する、というようなことはなかった。大学が認める公認団体の利益は、大学の施設を優先的に使えることと、一部団体は部室があることくらい。意外とメリットないよな、と感じていた。


すべての団体と学生支援部署が個別につながっているため、様々な連絡や指導、依頼はすべて学生支援部署が行う形をとっており、この仕組みが良くも悪くも勤務大学の正課外活動のカラーにつながっていた。

私は大学を卒業したて、しかも「職員は大人だから分別をもって学生と接するべし」という考えも何も身についてなかったため、窓口や打ち合わせ時の学生との関わり方については、よく課長に叱られた。窓口対応を終えると「ちょっといいか?」と課長に声をかけられ、奥の打ち合わせ部屋で今の対応の何が問題だったかを、課長と一緒に考える(考えて自律的に反省しつつ動けるように仕向けてくれていた・・・・感謝)日々だった。今では考えられないレベルの職員である。おおらかな時代だった、でよいのだろうか。

教育係についてくれた先輩は、各種団体の集まりで、学生を引き付けるのが本当に上手だった。音楽関係団体、山岳関係団体などなど、いろいろな団体の主務や代表が顔をそろえる会議で突然関係のない話を始めたかと思えば、それが今日の議題につながっていたり、話の緩急のつけ方なども凄かった。私はといえば、それらの会議前に「数分自由に時間あげるからなんでもよいからやってみて」と言われ、自分語りをしてみたり、山岳関係団体の学生たちに山のことを教えてもらう(後に一緒に登山した。今思えばあり得ない話だ・・・・)時間にしたりと、相当ハチャメチャなことをやっていた。
とはいえ、仕事のベースは事務作業だったりするので、それらの仕事をしっかり努めつつ、学生との関わり方を常に探り続ける毎日だった。

また、この先輩からは「お前にとっての学生支援ってなんなの?」とかなりド直球かつ学生支援部署で働く職員としての命題を早いタイミングで投げかけられており、実は未だにこれを考え続ける日々である。

ちなみに、この職員1年目に関わりを持った学生たちとは、十●年経った今でも交流がある。うち3人は同業者(1人はうち、1人某大学の職員、もう1人は現在金沢で大学教員をしている)となり、偶然とはいえあの時の強い結びつきを感じている。早く金沢に遊びに行きたい・・・・・・

ということで今日の1曲。先輩から自由に与えられた時間で学生たちに紹介した曲。Theピーズの「何様ランド」。歌詞が大好き。

#大学職員 #学生支援 #クラブ・サークル活動 #ふりかえり #過去の言語化

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?