23歳サラリーマン、大学受験から引退する

11月14日に河合塾の早慶レベル模試、21日に駿台の京大実戦模試を受けてきた。ご存じの通り、これらの模試は高校三年生や浪人生を対象にしており、明らかに23歳のサラリーマンを対象にはしていないのだが、幸いなことに模擬試験の受験に当たっては年齢などは考慮されないため、僕のように大学受験とは何の関係もない職業についている一般男性であっても、お金さえ払えば現役の受験生たちと一緒に試験を受けることができるのである。金を払えば何でもできる。ビバ、資本主義、である。そしてもちろんここでの「現役」とは「大学進学を目標に勉強している人」という意味であって、その対義語は「浪人」ではなく「大学生」もとい「社会人」だ。

世の中にはいろいろな趣味があるが、僕にとっての趣味の一つが大学受験だった。(これが世間的に見れば、賭け事やパチンコのような、人前で公開することで他人を一瞬でひきつった笑顔にできるほどの破壊力を持ったかなりヤバイ趣味であることは百も承知である。)大学一年、二年のときはそうでなかったのだが、三年のときは早慶オープンの受験と駿台での冬期講習の受講、大学四年では京大実戦の受験と、いつのまにかお金をかけてきちんと(?)楽しむ趣味になっていた。無課金でソシャゲを楽しむのは高校生までで、自分でお金を稼げるようになってからは、その稼いだお金を課金に回すのが正しい楽しみ方であろう。それと変わらない。講習は五桁、模試も五桁に近い四桁のお金がかかるのだが、趣味だから全く気にならなかった。(これによって大学三年のときの僕は「冬期講習で稼いだお金で冬期講習を受けている」状態だったのである。冗談みたいな本当の話です)

今年で引退するのは、(どうでもいいけど引退って言葉、なんかかっこよくないですか?)別に大学受験勉強に嫌気がさしたわけではない。今でも問題を解くのも、参考書を読んで新しい知識を増やすのも楽しい。ただ、いつまでもこの生活を続けるわけにもいかないだろう。何せ僕はもう23歳で、来年の春には24歳になる。去年も若干感じていたことだが、会場に行くと浮いてしまう。いや、ただ浮くだけならいいのだけれど、そのせいで周りの、真剣に勉強を重ね、本気で早慶や京大に行きたいと思っている受験生の邪魔になってしまったら、それはもう自分ルールに反する。僕は自分が悪い意味で変な人であることは自覚しているが、それでも誰かにとって害をなす存在にならないようには気を付けてきたつもりである。(存在が害であると言われればおしまいであるが、その場合は個別に連絡してください。穏便に解決しましょう)18歳の受験生と僕は5歳差なわけで、つまり小学校でぎりぎりかぶるほどの大きな差がある。小1の集団の中に小6が混ざっている…適切なたとえでないのはわかっているが、書いていてぞっとしてきた。気持ちが悪すぎる。

まあ単純に、司法試験予備試験の勉強に集中したいというのもある。この試験はかなり難しくて、正直30歳になるまでに合格できればいいな、くらいの気持ちでいる。別に法曹界に入りたいわけではないのだが、悲しいことに僕は土日を丸々自分のために使える人間なので、その暇つぶしもかねて勉強しようと、こういうわけである。もちろん、土日を丸々自分のために使えない人間になるための努力も積極的に進めていきます。(というかむしろそっちにすべてを注ぎ込むべきなのだろうが、去年の夏のトラウマがまだ癒えないのだ)

冊子掲載を目標に夏から週に14時間ペースで、法律の勉強と並行しながらではあるが、コツコツ努力してきた。ただ…正直に言ってしまおう。早慶オープンは思っていたものとは全く違ってしまっていた。今年から早慶レベル模試に名前が変わったのだが、出題内容もかなり変化があって、具体的に言うと早慶オープンのような学部別選択問題がなくなり、さらに国語の古典分野に関しては共通テストに毛が生えたくらいの出題内容だった。しかもそれでいて返却時期は例年と変わらず共通テスト後という怠惰仕様なのだから、もう救い用がない。模試の案内をよく読んでいなかった僕も悪いが、超絶難しく、早慶の傾向にあった問題を想像していたので、正直ものすごくがっかりした。自分はこんなもののために勉強していたのか、と思わなかったといえば嘘になる。いやもう本当に、わかりやすく言うなら回らない寿司屋に連れていかれると思ったらスシローだったときのような、または今風に言えば、超絶美男子だった相手がマスク外したら死ぬほど不細工だったとか、そのレベルのガッカリである。受けた直後は河合塾に対して敵対的買収を仕掛けて早慶模試担当者を軒並み懲戒解雇にしてやろうかとも思ったが、時間がたつにつれて怒りもおさまり、(こんなしょうもない逆切れで交代させられる取締役はたまったものではないし、模試や参考書でお金を使いまくっている僕にはそもそも51%の株式を取得できるだけの財産がない)むしろ今では「まあいいか」と諦めに近い穏やかな気持ちだ。心から嫌いだった部活の顧問が、引退してからは急にいい人に見えるのと同じ現象であろう。こんな例えを使っておいてなんだが、僕は今でも中学時代の部活の顧問のことは許していないし、一生許す気はない。

もちろんこれからも東進過去問ネットワークを漁ったり、参考書を買ったり、国会図書館に過去問を解きに行くといったことは辞めない。これは趣味なのであり、更に言うなら何年も先の話ではあるが、野望を叶えるために必要な努力なのだから。ただ、たとえば講習を受講したり、模試を受験したり、そういった人前に出る類の行動はとらないつもりでいる。そんなわけで、趣味を「やめる」のではなく「引退」という表現を使ったのである。いつかは僕が講習を開催し、そして模試を作る側になるため、方向性は違うがこれまでのように努力していきたいと、今はこう考えている。

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