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竹本将太のこれからの話

関西学生サッカーリーグが昨日で終了しました。

結果は2位でインカレ出場を決めました。
目標は日本一ですが、やはりこのタイトルは取りたかったです。

でもまだチャンスがある。正真正銘ラストです。
必ず日本一とります。

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さて、これまでnoteであまり自分のことを語ってきませんでした。

流石にこの時期になると進路について聞かれることが多いので、これからをどう生きるかについて書いてみます。


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小学校5年生の時、下校中、仲の良い友達に言われた衝撃的な一言でした。

小学校低学年の頃はサッカー少年の夢は揃ってプロサッカー選手でした。しかし、わずか数年で小5が「現実を見ろ」と訴えてきたのです。彼の身に何か挫折があったのか、誰かに言われたのかはわかりません。

中学高校と、年を重ねるごとにさらに夢を語る人は少なくなりました。自分だけは絶対に夢を諦めない。その一心でボールを追いかけました。

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中学から高校への進路選択は、サッカーで失敗した場合を考えてMARCHや関関同立以上を目指せる高校にし、大学の選択も就職で困らないことを最低条件にしていました。

関学への進学はサッカーの実力的にはかなりのリスクを取りました。明らかに自分のレベルより高かったので。
でももし失敗した場合を考えてたのでそういう意味で安パイな選択をしました。

大学3年になった頃から、いくつかの企業からプロにならなかった場合うちに来ないか、というお話もいただきました。

その時僕は就職先を持っているという「保険」に喜んでいました。
大学で日々ぶつかる壁を前にすると「保険」はとても魅力的に映りました。

しかし、同時に夢を貫いてきたはずなのに保険もかけてきた自己矛盾との葛藤を常に抱えてきました。

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高校では当時県2部リーグながら、県制覇を掲げて取り組みました。
結果的には総体予選ベスト4、選手権予選準優勝で目標には届きませんでした。
あれだけ練習しても桐光学園ははるか先のレベルにあり、その桐光学園も選手権では勝ち進めませんでした。

関学サッカー部には入学より少し前、2月に入部しました。C2チームという一番下のカテゴリーからのスタートでした。1年の多くはBチームでアイリーグを戦い、全国大会に進むも結局全試合メンバー外。1週間ほど滞在してやったことは気温0度の中偵察のビデオ撮影。高額な費用のかかる遠征でしたが、そんな結果で終わってしまい、両親に申し訳ない気持ちでいっぱいだったことを覚えています。

2年になり、4月ごろAに昇格するも、1週間後に骨折で離脱。復帰後もプレーが酷すぎて家に帰らされ、最終的にインカレ出場も逃しました。

3年ではやっと掴んだインカレ出場のチャンスを、初戦の前日練習で負傷し欠場。Jのスカウトが多数観に来る舞台で全くプレーできませんでした。

そして実は、今年の夏休みは練習試合のほとんどをサブチームで過ごしました。Aチームになってからそれまで基本的にほぼ全てでスタメンでした。それがいきなりサブ戦のさらにサブに降格。その練習試合は関東で行われ、数少ない両親が見にきてくれた試合でもありました。最初は聞き逃しかと思ったし、最後に呼ばれた時は頭が一瞬真っ白になりました。主将という立場と両親への申し訳なさで心が押し潰されそうでした。

あなたと同じように、僕も負の感情と戦い続けてきました。

「それでも俺はサッカーがしたいのか?」

そう何度も何度も自分に問うてきました。

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人生にはいくつか岐路があります。学生にとってそれは進路選択の機会です。そして「就職するのか」「サッカーを続けるのか」という選択に迫られました。

挫折だらけのサッカー人生。諦める理由はいくらでもありました。
世間的には就職するのが当たり前で、安定もします。
就職か、サッカーか。どちらがいい人生を歩めるのだろうか。ひたすら悩みました。

しかし、いくら将来について計算しても何も見えてきませんでした。
同時に過去をいくら悔いてもあの時のミスは、あの時の怪我は、どうしようもありません。

困難にぶつかるたびに何度も何度も読み返してきた本があります。

『人生は連続する刹那であり、過去も未来も存在しません。あなたは過去や未来を見ることで、自らに免罪符を与えようとしている。過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。』
  ー嫌われる勇気ー

(詳しくは2年の頃に書いた部員ブログで https://twitter.com/KGUsoccerclub/status/862246814409342976?s=20 )

自分の本音を探り続けると、ここに回帰します。

前に進むには、過去と未来を捨てる勇気が必要でした。
だから、「いま、ここ」に全力で没頭できることをしよう。
「いま、ここ」を最大限に楽しめる生き方が僕の幸せの形だと気づきました。

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楽しむとは何か。就職か、サッカー。どちらの人生が楽しいのでしょうか。
”楽しい道をいく”とは、選択した先の結果が楽しいというわけではないです。

”楽しい道をいく”とは、人生山あり谷ありのプロセスにおいて谷の時でさえ楽しいと思える道をいくということです。

今年の夏休みのスタメン落ち、頭が真っ白になりました。1試合目の前半、ひたすら走りました。最初は情けなさや怒りで目に涙を浮かべていました。でも30分ほど経つと、「あ、これ後からあの時はいい経験だったって思えるパターンや」って考えてました。その後も5.6試合はサブでしたが、誰より声を出し、誰よりも闘う、ずっと意識し続けてきたことを愚直にやり続けてきました。

僕にとってどんなときも、今この瞬間をそしてその瞬間が谷底だろうと、楽しめる道はただ一つでした。
僕が心から楽しめる、つまり幸せだと感じるのはサッカーにありました。


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僕自身就活もしたし、進路については長い時間考え続けてきました。
ただ、決してブラさないと決めていたことがあります。

「他人の幸せを生きない」「自分の幸せを生きる」ということです。

もしあなたが漠然と就活しようと思っているなら一度考えてみてください。
それはあなたにとって本当に幸せなんですか?
誰かが決めた(おそらくテレビの世界が)幸せ、つまり大手に就職して、結婚して、子供を2人授かり、マイホームを購入・・・というテンプレートです。

それが良い悪いではなく、あなたにとって良いのか、が問題です。

自分の幸せを生きるには勇気が必要です。
他人の幸せならできた言い訳が一切できません。

まずは自分の中に幸せのモノサシを持とう。
それさえあれば、どうにかなります。

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才能やら運命やら環境やらを言い訳にして諦めるタイミングはいつでもありました。

でも僕のサッカーの目的は「才能のない人の希望であること」でした。

高校では神奈川県の2部リーグで3年からトップチームになったような凡人でも、圧倒的努力の継続でここまで来れるんだぞ、と。
他校のBチームに負けていた頃からたった3年でG大阪を倒せるまでになるんだぞ、と。

だからこれから先も挑戦します。さらに高い舞台で。

そして誰もが自分の幸せを生きれるように。


もう少し具体的な話は、今週中に。ありがとうございました。




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