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note酒場には穏やかに語り合う形で行こう。

ええっと、宣誓しときます。
タイトルの通り穏やかに、語り合う形で、それに見合ったような態度で行こうと思います。
実生活面ではそうだから、敢えて言う必要無いんだけど、一応ね。一応。

だって自分のnote記事みんな常軌を逸しているのだもの。年がら年中訳のわからん社会制度だとか組織だとか言葉だとか、色んな物に対して浅ましい文字の奔流をぶつけているような狂人です。
挙句の果てに、言語どころか物理的にも荒々しい人間性をむき出しにしてぶつける奴です。

危ねぇったらありゃしねぇ。

そんなことばっかりやってきた自分なのですが、割とnote街の人々とも交流することが増えてきて、軟化して来ているよなぁ。と今更感じております。

noteのユーザーと争いたい訳ではない。

言ってしまえばすごく簡単だ。
記事を書くときも、己以外全部敵と決めてかかるのはそんなに難しいことではない。わけわからん事に対して、否、と言ってしまう、激昂するのは凄く自分であると実感できる瞬間ではある。
そういった文章、そういった意見の先に、読んでくれているユーザーやスキをつけてくれているユーザーはいない。

全くマヌケな話ではあるけど、いつだって意見をぶちまけたり知らせたり、そういう事をして直して欲しい奴はnoteなんぞ知りもしない現実側におるのだ。
全く声を届けようなんてしてねぇわけだ。
リアルファイトをやってしまうのはいつだって現実側なわけだ。

note酒場とか、実際に集まるような場所では当たり前だけどnoteとリアルがごっちゃになる。だから分からなくなる。現実ではあるけど、自分らが毎日過ごしているくだらねぇ現実側ではない。
いやさ、普通に社会人やってるわけだから分かるだろう?
そんなこともない。実際やってみると議論とか楽しいし、現実ではクソみたいなご意見聞かずにゴミに捨てるの悪い気持ちにはならない。
そういうのに慣れ切っている。論破する、議論する、煽るそんなことが見ればどこにだってすっ転がっている。

リアル側で全くあったこともない話したこともない人々を、noteやってるから仲間、と言い切れるほど善人ではない。
リアルファイトするほど敵意むき出しにすべき対象でもない。
noteの側が本物なのか、現実の側が本物なのか、そんなことは分からない。

なので、真ん中。穏やかな気持ちで行こうと思います。

等と、先日泥酔して猛り狂った自分が宣誓しておくわけです。

サポートはお任せ致します。とりあえず時々吠えているので、石でも積んでくれたら良い。