見出し画像

そこそこの側がお前を捨てたんだよ。

中学、高校時代ぐらいかなぁ。思い始めたのは。
そのぐらいから僕はそこそこの人生を送ろうと思い始めました。都内近郊のそこそこの大学に行って、そこそこの企業に就職して、そこそこの女性と結婚して、そこそこの家庭を持つ。友達の数はそこそこ。多くもなく少なくもない。常に連絡が取れるぐらいの数で、疎遠にならないぐらいの関係性で。

などと、今となってはこれらすべてが本当に凄まじい成功者であることを知り、ほぼ絶望に近い気持ちでそこそこの生活をかなぐり捨てて生きていますが、当時は同級生も、友達も、みーんなそんなことばかり言ってました。逆に、すげえビッグになりたいとか、すげぇ金持ちになりたいとか(これは現実的)有名人になりたいとかタレントになりたいとか言い放つ人はまったくいなかった。みんな目立ちたがらないし、みんな意見を言うのを恥ずかしがっていた。同調圧力っていうらしいよこれ。

で、大学に入って、やっぱりみんなそこそこだった。そこそこのチェーン居酒屋に行って時々酒を飲み、そこそこ講義を受けてそこそこの値段の服を買う。そのうちリーマンショックがやってきて、マジのそこそこの企業でも取ってくれるかどうか分からん状況になって、僕はついにそこそこレースから降りた。
現代でいう"そこそこ"とは異常でありながらも何だかんだ生きてる事、だった。人より目立つことをして、人より高い位置に立って、ようやくそこそこ。私ははっきり言ってゴミの山まで堕ちた。でもそこにいる人々も変わりのない日常、そこそこの生活を望んでいた。

初めからそこそこではなかった。異常なキャリアを歩んで、異常なスキルを持って、他者を全て撥ね付けたいと思う人間にそこそこなんてなかった。

で、今、私はまたそこそこの人々のそこそこの意見に苛々して、そこそこの意見とは、多数決。
はっきりと分かるのは、そこそこじゃ生き残れないこと。生活水準はそこそこで十分だけど、お天道様に恥じぬ生き方をしたいならば、そこそこの仕事、そこそこの成果では、全くもってダメだということ。

結論、私はまたそこそこの組織から捨てられそうになっている。自分本位に言えば、出ていきたいと思っている。どっちでもいいか。今は淡々と、鉄を打つ。

サポートはお任せ致します。とりあえず時々吠えているので、石でも積んでくれたら良い。