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"話せはしない"と"聞きたくない"と

あの日の事はまだ覚えている。
だけど毎年毎年、少しずつ意味合いが違うようになっていって、自分の過去の話の癖に、コントロール不能になっているのが、なんとももどかしい話だ。

その日の昼。
私は友人に会う予定があって、行く道すがら、コーヒーを飲みながら昼食をとっていた。何でもない日だったし、私にとっても何でもない日だった。
感覚は無かった。いつもならわかってしまうその感覚がなく、窓の外で右往左往する人々を見て、初めて事の重大さに気づいた。
Twitterのアカウントには速報が流れ続けた。
もちろんその時は今とは違うアカウントで、そのまま使っていこうと思っていた。
遂にこの日が来たかという気持ちと、それでもやはり焦る気持ち。
一番危険なのは、ほぼ毎日のように河口に向かう父で、ひとまず一気にメールを送って、安否を確かめた。行動は落ち着いていた。返信がすぐに帰ってきて、ひとまず安堵はしたが、それだけで済むはずはないと、覚悟はし始めた。

倒れるものが何もない、近くの大きな中央公園に足早に向かった。
駅前の銅色のビルが揺れ動く度、声を上げながら画像を撮る人々を、本気で軽蔑した。
俺は分かっているよ。何が起こっているか。
けど、ここじゃない。ここで騒いでいる時じゃない。
中央公園でTwitterの情報を整理し、電車が動かないことも、岸が沈んだ事も知った。
会うはずの友人に断りを入れて、自宅までの最短距離をマップで調べて、GPSを起動して、歩いた。
何の変哲も無い、黄昏時の国道沿い。行き交う長距離トラック。一緒に住んでいた妹は、帰れず一晩を明かすとのことだった。
一人で歩く街は、死んでいた。

その日から色々な事が、日を追うごとに変わった。
両親は近くの公民館に避難し、そこで避難生活をするようになったし、大学の卒業式はなくなった。
話のどこかには"震災"の話題が入るようになった。
誰もがその日からの生活を、それに絡めて話すようになった。
業績が落ちた、建物が少し傾いた、ガラスが割れた、落ちた、帰れなくて大変だった。買い占めが起きて大変だった。今は大変かもしれないが、被災地よりはマシなんだから、努力して就職しなさい。福島ほどではない。

結局そのどちらにも違和感しか抱けない自分がいた。

私自身は、被災者ではない。だが、近親者は大きな被害はなかったにしろ被災者で、失ったわけではないが安易に話せなくなったのは私の住んでいた場所で。
一つの大きな出来事の前に、人々の様々な立場が変わってしまったから、
東京で話される様々な噂話、体験談、将来への不安、そういったものを聞いても被災地ほどではないから、聞きたくないと思うようになり。
比較的失ったわけではないから、被災者側へ話せることもない。そう思うようになった。

記憶は毎年毎年、違った思いをもたらしてくる。
あの事が人生に大きく影を落としたわけではないが、間接的には十分曲げられた。それ以前のリーマンショックもあるだろうが、世情を見る目が曇ったこともあるし、金銭的に苦境に陥ったこともあった。
実家からの支援がなくなったため、妹の学費を工面しなければならなくなった。選ぶ暇もなく、目先の、時間を売って稼げる仕事をしなければならなくなったのは、それだが、それも自分で決めたことだ。
昔学校の運動行事で使った施設は、遺体の埋立地に変わった。父の釣り仲間は、海に消えた。そのぐらいだ。
失ったものはほとんどない。

人の精神的な傷は、比べてどちらがひどいかなど、するべきではないと知っていても。

一つあの日があっただけで、私とそれ以外の人々は立場が変わってしまった。
失ったものはほとんどない。言えるのは、被災地ではない場所のあの日の話を、聞きたくないと言う心と、被災者でもない自分が、話せることは何もないという言葉。
比べるための一つの共通の出来事があることは、誰にとっても不幸である。そう思う。

そういう日がいつか来る。その覚悟はずっとしていた。99.9%の確率で来ると言われていた話だ。そのぐらいはしていた。
それとは裏腹に、思った以上に心は揺れた。家族の安否を、地元に残った友人のその後を、完全に先のなくなった将来への展望を、直面してみて初めて気づいた。覚悟などなかった。ただ逃げただけだ。

その時言葉を持っていなくて、本当に良かったと思う。今ですらそう思う。それほどひどいわけではないから、話せはしない。
だけどそれほど無感情でもないから、それ以外の話は聞けはしない。
その時言葉を書いていたとしても、なんの力もなかっただろうし、何もできなかっただろう。欲しいとすら思えなかった。分かち合うことすら否定してきた。一つの事象に対して、すべての人間の立場は変わってしまったから。

失ったのは"話してみたい"と"聞いてやりたい"だ。



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