見出し画像

ついばむ。

ちょっとした遊びをやってる。
ついさっきまでウイスキーロックで静かちびちび飲んでいた男が、急に動き出す。
たまたま隣で飲んでいた女は眼を疑う、そんな遊びって、あるのかな。なんて。

バーテンダーは一瞬だけ迷い、次々に酒を入れる。ステア、たったそれだけ、嘘はつけない。男はじっと所作を見つめる。真剣な眼差し。
カクテルグラスに華は咲かない、だがしかし、この高級ブランド品のような艶は一体なんだ。その後、女は眼を疑う。

男は差し出されたカクテルを驚きもせずに、香りを嗅ぎ、口をつける。ただ、一瞬。味わっているのかどうなのかすら、分からない。ただどこか、微笑んでいるようだ。先程までロックグラスを傾けていた、深く沈降するような飲み方ではない。もう、堪らなくなり、女は男に尋ねた。
-それ、なんて言うカクテルですか?
ちょっと不作法だったかな、なんて後悔する女を意にも介さず、男は答える。
-マンハッタン。
-マンハッタン?
-うんそう、マンハッタン。ウイスキーベースのカクテル。ちょっと甘め。

さっきまでずっと大人のおじさま、みたいな感じでロックグラスを傾けていた人とは思えぬ軽薄な語り口に、女は二の句が継げない。
-カクテルの女王様、らしいよ。今日はライじゃないらしいね。ブレット。そういう感じ、ね、入江さん。
少し離れた所で作業を続けるバーテンダーに、目配せをする。
-さっきまでウイスキー飲んでましたよね。なのになんで、そのカクテルなんですか?
-あぁ、遊び遊び。中盤ぐらいに大体これ頼むの。難しいカクテルらしいよ。あとね、このチェリーね。
-私も、飲んで良いですか?
-いいんじゃないかな。入江さん、この子に同じの、ご馳走しといて。
-話、聞いてて良いですか?
-そんな事より、よーく見ときな。ほら、作り始めるから。
女はバーテンダーの方に眼を向ける。また、一から選び直している。
-ほらな、やっぱり違う。入れるお酒、量ですごくシビアに結果が変わる。あとは中盤か最初かで大分意味合いが変わる。肝は、最後のチェリーを食べるタイミング。マンハッタンのしみしみになったチェリーを最後の晩餐にしたいって人も、よく居る。
-ストロベリーショートケーキみたいな。
-うーん。ちょっと違うかなぁ。味わいじゃないんだよね、この歳になると。食感、一から十まで柔らかくて甘酸っぱいものじゃなくて、最後に食べる、違った食感が欲しくなる。
これも同じ、さじ加減で甘くもなるし、少しビターにもなる。色は同じ、そこら辺が最後まで分からない。でも最後は、必ず心を奪う。
グラスが運ばれてくる。なみなみと注がれた液体を、舐める。豊潤な甘さが口一杯に広がる。そして、陶酔する。なんだろうコレは。
-結構、強いですね。
-そ、気付いた時には身体も奪われてる。イイ女のカクテル。
-素敵な殺し文句ですね。
-年下の男相手だったら、そうするだろ。最後に男の甘えたい純粋な気持ちを奪う。過程に沢山、すれ違いとか、罠とか用意して。
-そういう策略?
男は鼻で笑う。
-辞めとく。凄いキザな話する行きずりの男は、勘弁。も少し話しても良いけど、時間だ。
男はグラスの底に残ったチェリーを噛み、空になったグラスを静かに前に差し出す。
-勉強になったろ。ハイ、体験授業お終い。次の一杯の授業料は、自分でお支払いなさい。じゃあな、お休み。
男はそのままお会計をし、さっと出て行った。

心は奪わせない。ズルい男だな。女は自分のグラスに残った心をついばむ。これは、私だ。そんな夜の、恋愛未満。

サポートはお任せ致します。とりあえず時々吠えているので、石でも積んでくれたら良い。