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シフト制最下層の実態

午後12時30分。
やっと出来たシフト表を見て安堵の溜息をついた。
いつも思うけど、予定を作ったとして、それをしっかり遂行できるかどうかは、この作業自体に大きく左右されちゃうのだ。
仕事以外の時間が自分の本当の姿として、それを決めるのはこのシフトというパズルで作られる日、になる。だからシフトを完璧に組む、という事は人生を充実させる計画そのものになってしまう。
今回は6日。note酒場だ。

割合ドライな気分で赴こうと思ってはいたが、心待ちにしている自分が居た。だってそうだろう、いつだってそうだけど、空いてる予定を埋めることじゃなくて、予定を勝ち取っているのだから。
シフトを作るというのはそういう感覚になる。

他がどうかは知らないが、自分の会社ではシフト優先順位はこうなる。

①学生アルバイトの休み
②フリーターの休み
③担当店舗社員の休み(作成者)
④広域担当社員の休み(最終決定者)

僕は④に属している。つまりシフト作成者かつ最終決定者で、優先順位は一番低い。
ここのところ考え方に違いはある。上位役職者がきちんと休めるよう、部下が努力をするべし。そういう考え方もある。
僕の場合、というか社会の風潮からすると、労働者階級を優先し、会社として社会に貢献する事が是。という風に思っているから、末端こそ大事、逆ピラミッド構造を取っているが、ぶっちゃけシフト制においては個人の裁量による。だから会社自体は、こうしろ!とは押し付けない。きっとどちらも一理あるからなのだ。

もうちょっとブレイクダウンして話すと、例えば僕が結婚式の予定を組んでいたとしても、優先順位的に一番高いアルバイト君が風邪ひいて出られなくなった場合、結婚式は中止し、即婚約破棄して戻らなければならんのだ。ちょっと大袈裟か。

でも実際そういう事はよくあって、数ヶ月前から取って楽しみにしていた舞台のチケットが無駄になるなんてことはザラにある。
その時のどうしても出られません!と頑なに交渉を拒んだバイトくん達がみんな集まってピンサロに行ったと後で話を聞いたときは苦笑、であった。

なんだか相当悲惨な話みたいに書いているが、これはこれで社会貢献、そう思っている。だから自分の予定を捻じ曲げることには、そんなに抵抗がない。むしろ、普段努めて作らないようにしているというのが本当のところ。人生で見れば0点だが、仕事で見れば合格点。それで誰かがすごく成長できたり、人生謳歌できるなら、十分すごい事やってるじゃん。そう思っていた。

ところが、最近そう思えなくなってきたのだ。
自分自身、色々と趣味をやってきて、気づいた部分もある。なのだけど、どうも"休みの為に仕事をする"論がすごい増えてきて、その内容、が頭にはてなマークが浮かぶことが多い。
例えばパチスロ。ストレス解消のために休みの日はどうしてもうちに行きたい。うーん。毎回行ってません?そんなにストレスある?
例えば旅行。温泉行って身体の疲れを癒してきます。うーん。
例えば帰省。実家に帰らせていただきます!そりゃあ親はうれしいだろうけど、毎年、春休みとか冬休みとか、年数回の頻度で帰る。それってどうなの、東京に居場所がないとかこき下ろして、努力してないんでは...とか。

超絶否定的な話かもしれないし、実際の社会人だってこうなのだから、多分間違っているのは自分の方だ。なのだけど、反省すべきは自分自身にも、他人にも厳しくなりすぎている、この一点だけなのである。

休みを使って、今の仕事ひいては未来の仕事のために勉強する、知識をつける、思考する。そういうアドバイスを堂々としてくる上司ってはっきり言って煙たい。
だから茨の道である。

翻って自分はどうなのか。飲食業界にながーい間居て、それにまつわる諸々の仕事をやってきた、会社全体に関わる仕事も一枚噛んだ。会社は変わる、でも、最下層はパラダイムシフト、なんてことは本当に起こらない。会社と現場、はよくある話だけど、齟齬が目立つようになってきている。
だから、外部思考を今は持っている。飲食業界の人もそうだけど、本当に多種多様な人の話を聞いたり読んだりして、世界を広げようと思う。

それが今、会社の為になるか、そんなことはわからん。2年、3年後の話かもしれないし、全く役に立たん、かもしれない。将来の自分の役に立つか、どうかも分からんし、全く無駄かもしれないのだが。

残念ながら、こんな風にほぼ毎日記事を書くようになってから、自分はもう外に出てしまっているのだ。

そんな形で、今シフト最下層民から外に出て、note酒場に参加する。と表明しておきます。とりあえずその予定が崩れなくてよかった、という話と、行くからには何かしらして帰る(まだ決めてない!後日)という、安堵と決意、でした。

サポートはお任せ致します。とりあえず時々吠えているので、石でも積んでくれたら良い。