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美談なんてクソ喰らえ

嫌いだ。大っ嫌いだ。
例えそれが後から物語となってどれだけの人の涙を誘ったって。
例えそれが死後に誰かに語り継がれるような物語となるとしたって。

だから過去は美化しない。
昔叶わなかった気持ちなど地獄に落ちて灰になればいい、もう顔だって思い出せないし、そもそも思い出自体がない。そんなものどうなろうと構いやしない。

俺は徹底的に自分勝手であろうと思う。
過去過ぎ去った人々がいくら自分の思考を作ったとしても、目の前にいる何よりも大切な人に何の作用も及ぼせないなら、その存在は無意味だ。無価値だ。

そして、未来の俺に言い聞かせる。
一人では苦しむしか回答はなかった。二人でいるなら、せめて苦しむ為に二人でいるなんて事、ないようにしよう。
そういう局面があるのは知ってるし、迎えることもあるのだと思うが、苦しんだ先には何かを変えよう。
一生二人で苦しみのレールを歩くな。

振り返るなら俺一人の為にやるんだ。
他の誰にもやらない。
大事な人の憂いも、喜びも、何もかも、一人で振り返る。絶対に誰にもやらない。

何を見ても何を読んでも、二人でいる事、居続ける事は、結論としては難しい事で、苦境に陥ったり、社会のシステム上、困難になることが多い事は分かっている。
当然だろ、社会は個人の幸福の為に存在しているわけじゃねえんだ。
金を稼ぎ、文句も言わず労働し、税金を納め慎ましく一人で孤独に人生を過ごし、社会に貢献するんだ。その為には個人の趣味趣向、何かを生み出すそんな時間なんてあるわけねえだろ。

結局このシステムに、皆否応無しに乗っている。
なぁ、テレビや雑誌が華々しい成功を語るのは、それが夢で、そうでもしなけりゃ人々は一瞬で働く気を失うからだろ。
それを掴むのは一握りと分かっていながらも、夢でも見させなけりゃみんな希望を失うからだろ。

知ってる。
それでも尚、二人でいる事に正義を掲げるなら俺が知りたいのは、終わった後に美談にするその言葉じゃなくて。
今、大事な人を幸せにする言葉と、苦難が降りかかった時、手を離さずにそれを超えて行けるその方法だ。

もう一度言い切るぞ、美談にはしない。
もう何もことばが出てこなくなるその時まで、いかにしんどくても離れない。
切れるもんなら切ってみろ。

社会が、二人で居続けることを困難に思わせ、諦めさせようとさざ波を立て続け嵐を拭き荒らすのなら、社会の側が諦めろ。
仲を引き裂こうとする、その考えを改めろ。
未来永劫、俺は不幸だか幸福だか知らないが、現実の中に立ち続ける。そこはいつだって戦う以外に選択肢のない状況で、四六時中不安やら焦燥やらが吹き荒れる荒野だ。
自分で自分を美化している時間なんてないんだ。現実を進む、荒野を走る。

他はどうだか知らない。ただこれが過去と今をひっくるめた、自分自身の未来へのステートメント。それで構わん。

サポートはお任せ致します。とりあえず時々吠えているので、石でも積んでくれたら良い。