何でもないあんたの声が聞きたい。

割合社会人としての経験長い癖に、スキルない。そんなのってマジで怖いし今後のライフプランを考えた時お先真っ暗、どうしようとならないように、私はど阿呆として、雑文したためたり、創作文放出したりしているのですが、金になるんか言われれば別問題だし、俺こんな事やってるのですが、どう?と言ってるだけ感は否めない。

そんな自分語りは良いとして、実際問題スキルなしで泳ぐこと、について考えます。
私は正直、スキルなしで現状の仕事に満足して、その日暮らしみたいな人結構多いと感じていますし、実質自分もその枠に入っているからあわあわしながら暴れているきらいはあります。正直市場価値判定めっちゃしたい。怖いけど。
そういう時の為に転職市場みたいなもんがあるのだけれども、実際、辞めてやるわ!みたいな状況にならない限り、そんな事なんて考える事すらないのが普通。

ねえだろそんな。みんな何かしら将来のことかんがえてるだろ。でもあるんだよねこれが。こんな状況、例えば松屋の社員さんとか取っ捕まえて小一時間問い詰めてみたら、何が出て来るだろう。怖え。
例えばコンビニの正社員。チェーン店の正社員。もちろんそこがブラックだとか何とかって話は言えないし、松屋で人生変わりましたって方もいると思う。本当に人生変わるなら、素晴らしい事なのよマジで。

しかしながら、誰でも出来る仕事につけられる価値は、正味どのぐらいなのだろう。職業に貴賤なし、っていうのは倫理上の話。誰かに貢献している点で、コンサルタントの方々も自動販売機の保守点検業者も同じぐらい尊いというのは、正論。なのだけど、当然の如く世間は見なかったことにして進む。
親、兄弟、彼氏などが、そういう仕事だった時どう思うだろう。将来どうしたいか考えてる?そう言ってしまいたくなる。
自分が人事担当者だった時に、面接の相手が、前職は誰でもできる仕事をしていました。資格などは持っていません。そういう相手だったら、どう思うだろう。

本音と建前。この二単語ずいぶんと長く使われ続けていて、社会の暗黙の了解として、広まっている。前提として深く深く社会に根差している。
無視している。あるいは見なかったことにしている。そうでもしないと息苦しくて本当に生きていけなくなる。そんなことは分かっている。道は二つ。一つ、スキルを会得し、肩書を持ち、堂々と街路を闊歩する。
もう一つ、社会が職業に貴賎なし、という倫理観を真剣に広めるか。

サポートはお任せ致します。とりあえず時々吠えているので、石でも積んでくれたら良い。