noteはもっと自由な文で良い
『telecasterの外の夢』シリーズ、完結しました。
今回の『telecaster』シリーズ最終話と、『あんたの本能、買わせてくれる?』の2編で、全編モノローグという形式で小説を書いてみました。
実際のところnoteに小説を発表することは、文学賞に出すこととは違う。原稿用紙40×40の書式で、文字数何文字以上といった括りもない。
実は今回の小説で、僕は結構可能性を感じた。もっと遊べる。使えるものははっきり言ってものすごくある。文体もそう、フォントもそう、文字数もきっと、note記事ベースで、数分で読み終わるぐらいにまとめることもできる。長編作品のプロットで短編連作をやってもいい(一遍事に起承転結をつけて、連載長編なのに短編のように読ませる)、今回うまくはまったかどうかわからないが、ハッシュタグを伏線に使ってもいい。もちろん全編モノローグでも構わないし、ダイアログ形式もきっと面白くなる。
僕は「小説」的な括りを捨てた。いや、今になってようやく捨てられた。
小説らしくする方法論はきっと探せばたくさん見つかる。だがこだわると、題材がうまく伝えられなくなってしまう。我々はプロの小説家でも何でもない、本を出したい方は沢山いるだろうが、この文章が紙面になるかどうかもわからない。編集者もいないから、あえて平易な言葉を使う、ウケそうなネタを取り上げる、その必要もない。そしてこれが一番大事、無料だ。
僕にとって無料記事は、無差別爆撃と一緒だ。一切のえり好みをせず、ただでかいフィールドに打ち込む、響けば良し、響かなくても良し。進められるも良し、どこかで忘れ去られるのもよし。
noteらしく書く。ここを突き詰めるのが、本当は近道なのではないか。
今回の連載は、そういう可能性を考えてみました。次の構想は進んでいます。どうぞご期待ください。なんつて。