「比べる」は薬にもなるけど毒にもなる
「比べる」って毒にも薬にもなるよね、という話をします。
比べるから人はがんばれる
比べるというのは「薬」になります。
人はなぜがんばれるか? 人はなぜ成長するか? それは「比べる」からです。
「あの人を目標にがんばる」とか「あの人を乗り越えたい」みたいな感じで、誰かと比べることでそれがエネルギーになります。
野球であれば「イチローを目指してがんばる」とかサッカーなら「本田圭佑を目指してがんばる」みたいな感じで、スゴい人と比べることで自分を鼓舞して成長する。
そういうふうにうまく使えれば「比べる」というのはいい薬になります。
比べることは「毒」になる
一方で、比べるは「毒」にもなります。
つねに比べていると疲れます。いつもスゴい人と自分を比べていては、劣等感を抱えてしまって気力がなくなったりもします。
この比べるという行為は、わりと取り扱い注意だなーと思うわけです。
わかりやすいのでフォロワー数の話をします。
たとえばぼくは数年前までTwitterのフォロワーは5千人くらいでした。
そのころのぼくは、フォロワーが3万人とか4万人とかいる「インフルエンサー」を見上げてはスゴいなあと思っていました。「あの人に比べたらまだまだだなあ……」と落ち込むこともありました。
時は経って今。フォロワーは4万人を超えています。
そのぼくが何を考えているかと言うと「なんで5万人にいかないんだろう?」「10万人もフォロワーがいて、あの人すごいなー」と思っているわけです。
……これ。
終わることがないですよね?
おそらく10万フォロワーになったら30万フォロワーの人が気になるし、30万フォロワーになったら100万フォロワーが気になるはず。最終的にはZOZOの前澤さんみたいに1000万フォロワーくらいまで行かないと劣等感が拭えないことになります。
比べるというのは際限がない。だからこそ、いつまでも成長し続けられるのですが、ずっと劣等感を感じ続けるのもつらいものです。
つねに自分とスゴい人とを比べ続けるのであれば、その分野で「一番」になるしかありません。でも一番になる人は1人しかいない。その1人になるのは非現実的です。
だから比べるというのは取り扱い注意だなと思うわけです。じゃあ、どうすればいいのかは、あとで言います。
2歳と20歳を比べることの無意味さ
それから思うのが、それぞれ成長の仕方は違うし、成長の速度は違うわけですよね?
ぼくは小さな小さな会社をやっています。たまに新聞や雑誌で上場した会社とかものすごく大きな会社を見たりすると、(ほんの少しだけですが)「すごいなー」「いいなー」とやっぱり思うわけです。
無意識に今の自分の会社とその大会社を比べて劣等感を抱いている。
ただ、そんな大会社であっても従業員が2人とか3人だった時代はあったでしょうし、いろんな成長の段階を経て、今があるわけですよね。
登山で言うなら、まだ今やっと登山口に立ったぼくらと、頂上付近にいる大会社を比べてもしょうがないわけです。仮に比べるのであれば、その頂上付近にいる大会社が「登山口にいた頃」と比べることです。それならまだ少しは意味があるかもしれない。
少なくとも、現時点で自分たちの会社と大会社を比べるのはあんまり意味がないな、と思ったんです。
これから育っていく2歳児とすでに成人を迎えた会社を比べても意味がない。2歳と20歳を比べて「20歳のほうが立派だな。2歳はもっとがんばれ」という人はいないでしょう。
「今」という時間で線を引いて、横並びで比べてもそれはあんまり意味のないこと。ただコンプレックスが溜まるだけなのでやめたほうがいいのかもと思ったんです。
比べるべきは「過去の自分」
そこでぼくが思うのが、比べる対象を他人にしないということです。
比べる対象は「過去の自分」です。
去年よりも今年、今年よりも来年、ちゃんと成長していればオーケー。昨日よりも今日、今日よりも明日を比べてみて1ミリでも成長してるんであればそれはOKということです。
たまには他人と比べてもいいかもしれませんが、それだとナンバーワンにならない限りずっと満足できない状況が続きます。そうではなくて過去の自分と比べてちゃんと成長していれば「OKサイン」を出すことです。
そうすれば、変な劣等感を抱くこともなく、健全に成長し続けられるんじゃないかと思いますし、そういう人が毎日ハッピーに生きられるんじゃないかなと思います。
ちょっと刺激が欲しいときは、 自分よりすごい誰かと比べて闘志を燃やすのもいいでしょう。ただそれをし続けていると、どうしても疲れてしまう。
そういうときは過去の自分と比べてみて、少しでも成長していればOKとする。このマインドがけっこう重要なんじゃないかなと思います。
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