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今話題?デジタルミニマリストにもォなった件

 どうもこんにちは、吉田隆将です。最近、「デジタルミニマリスト」になろうと思い、note意外のSNSを思い切って消去してみました。一週間たった感想と共に、学ぶことについても自由気ままに書いていこうと思います。



結論!



「やって正解でした。」

(すんごい主観的ですよね、文学的、、、メタ視点を磨いているこの頃には少し不快感を感じざるおえない、とは言い切れないこの葛藤に悩まされています。)

それで、
 いったい、何が変わったのか?




 まず一つ目は、「自分の時間」を確保できたという点です。

 私自身、以前はSNS中毒気味でして永遠にInstagramのストーリーを漁っては目が疲れ、眠りが浅く、次の日に支障をきたすという毎日を送っていました。皆さんは、SNSで無駄にした1日は数知れずでしょうか?


 私は、無限と言えるくらい自分の可能性をSNSで潰してきた気がします。今は、SNSをしている時間を全て「読書体験」に投資したいと思うようになりました。読書をするということは、自分と向き合うことでもあり他者の意見を知ることであり、自分を超えていく力学的な作用でもあると思います。同時に、脳みそも知的なプロダクトを食べて、良いこと尽くめですよ!世界の一流の人に限らず、読書を毎日している人は話した瞬間にその聡明さがわかる気がします。



 人の本質は、先端に出る。靴を揃える、爪を切ってある、歩き方、表情、所作(歩き方含む大きな枠組み)。いくら中身が大事だからと言って、外面が中身によって感化されないという理由にはならないですよね。外面が良くて、中身は良くないという人は大勢いると思いますが、その逆も然り。外面は努力によるところが大きいと思います。(今論じている外面とは、表情、清潔感、服、持ち物、話し方等を含みます。)芸能人もメイクもせず、大きな場に臨んだら一瞬で干されてしまうでしょう。まあ、そんなことはありえないんですが、、、仮定のお話です。



 仮定すること、の重要性は非常に大きいと思います。経営戦略とも似て非なるところを分かち合っています。文系は文系の力、理系は理系の力。そんな論争自体もう古いですね。今は、両方持っているのがビジネス界では当たり前。スペシャリストが勝つ時代というのはとっくに終わっている気がします。

専門の分野にプラスして、何か強みがあることの強さ。

理系で研究ばかりしている人が文学を学ぶこと、小説を書いてる人が医学を学ぶこと。どちらも、自分の専門分野で応用可能です。日本人は、組み合わせることが上手いです。掛け算思考というやつですね。私はそこに、べき乗思考という掛け算思考の一歩先の概念を導入しています。ビジネスで言うところの、スタートアップ戦略に近いです。大抵、1×2をまず行います。例えば、物理学×音楽とか、、、。まあ、この例はふさわしくないかもしれません。なぜかと言うと、そもそも音楽=物理学なのではないか?と指摘されそうだからです。またもや、物理学=音楽なのではないか?とも指摘されそうです。確かにそうです。ひよこが先か、鶏が先か問題に似ています。


結論

(結論を言いたがる人は、男子脳に多いそうですね!)


どっちが先が研究する人以外は、「ツナガリ」を意識することのほうが遥かに思考力・創造力(想像力)・知覚力を高めるのに有効な手段であると思います。


人とのツナガリもそうですし、学問のツナガリ、生物どうしのツナガリもそうです。


あらゆることはネットワークでツナガッているから、

「私はこの分野にしか興味がないから、学ばなくていいや!やーめた。」

という態度はアカデミックではないと思うんです。頭の良さ、というのが最近話題ですよね。日本は未だに学歴に対してシビアな世界です。大手企業に就職できるのは、東大をはじめとする旧帝大、早慶、一橋、東工大が圧倒的に多いです。この事実は、知るべきですよね。学歴がある人が、

「これからは、学歴じゃないよ!」

と言ったところで何の説得力もありません。その人自身は、言うだけなのでなんの損もしません。損をするのは、私たちだけです。(学歴が必要なのは、職種によります。肩書き重視の日本社会?いや、世界ではやはり難関大学の肩書きはあったほうがいいし、難関大学に行っている人は頭がキレると言う事実に変わりありません。)

 でも、私たちはそのリアルを親身に受け止め生き延びるために日々学び続けなければなりません。学ぶことをやめないことは、誰にでも実践可能です。



 私たちは、何からでも学ぶことができます。noteもそうですし、テレビもそうです。YouTubeでもいい気がします。(私は一切見ませんが😅)何を言おう、最も学びを深められるのは、、、


“読書”


ですよね、これは言わずにはいられません。多くの著名人が口を揃えて、読書しろ!と叫んでいます。わざわざ、教えてくださっています。けど、そのチャンスを逃す人が多すぎる。だから、私も読書せよ!学び続けよ!と啓発したくなるのです。



 読書体験、もっと大きな枠組みで言うと「知的生活」ですよね。


知的に生きることの楽しさ、嬉しさ、もどかしさ、苦しさ、悲しみ。読書が全てとは言い切れません。もっと大切なこともあります。(人の生誕、死、神の死、大切な人の気持ち)



それらを乗り超える「智慧」を与えてくれる、取りに行くのが「読書」。



自らハントしにいこうとするその知的好奇心の旺盛さ。その、人間としてのあるべき姿に回帰するこの現象に神秘を感じずにはいられません。


 デジタルミニマリストになったおかげで、「学び方」への態度をより深く考えられました。今回は、この辺で終わろうと思いま.........








        あれ?



と思ったあなたは勘が鋭い、読解力がある。

 デジタルミニマリストになって良かったことってひとつなの?


いいえ

この花が強く、強く、咲くように私は「私」の強く学ぶことに対する態度を書いたつもりです。(わかったつもり、知ったかぶりは学問に不要とまでは言いませんが、ふさわしくない態度ですね。使えない知識に価値を持たせるのはクイズやうんちくくらいで十分です。クイズについて話すとまた長くなりそうだ、、、。クイズ楽しいけどね!)


路線からはみ出し気味ですが、、、今の世界を生き延びるために必要な能力の一つ、、、それは



ひとつとは限らない、別解を探す探究力。


 起業家に限らず、全人類、ホモ・サピエンス、いいえ、ネオ・サピエンスが持つべき知の実践的態度を今回自分なりに記述しました。これも、つもりになってしまいます。人生は、「生きたつもり」にならぬように、強く生きる。それが、私にできる自分なりの生き方です。



「本質は細部に宿る、マクロとミクロ、それ以上のメタ視点で物事を見ることの重要性」


 そのことが皆さんに伝わっていたら、嬉しくてたまりません。脳みそが喜びます。以上、吉田隆将/TɐKAyK𝓲  「知的生活日記」でした。

みなさんの、スキ!、フォロー待ってます。最後まで読んでくださり、ありがとうございました😊





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