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ワニ君とビジネス海賊とauthenticとcompassion の話。

ネタバレというか、なんというか、あまり感動的ではない内容なので、ワニ君の件でしんみり余韻を味わっている方は、この先読むにあたってお気を付けください。

ワニロス🐊でしんみりと人生について考えちゃってる家族に、今批判が集まっている死後すぐの怒涛の商業プロモーションの件を伝えるべきかどうか悩んでいます。。たぶん優しい私は何も伝えず、彼が自ら気づく日を待つ事でしょう。いくらなんでも、昨日の今日だしね。


私もワニ君のストーリーは興味深く読んでいたし、人生のはかなさに思いをはせたりしていたのですが、その後の色々な商業的な動きを見てビジネス!ああビジネス!!と一気に現実世界に引き戻されてしまいました。
 
そのGのかかり方はまるで豊島園のパイレーツ(海賊船で前後に動く乗り物・別名バイキング)を思い出させる位の強力さ。
感動している場合じゃない!喪に服している場合じゃない!これはビジネス界における現実なんだーー!甘っちょろい事は言ってたらいけないよ、ビジネス海賊の世界は荒波なのであるぅぅ!とぐぐぐーと目に見えない力に押される感じです。さすが日本におけるトップレベルの商人の方々だわ。。。私のような愚民は翻弄されております。
 
Twitterでもこの件はトレンド入りしていて、話題になっているようです。そこで一体どこに違和感を感じているのかを美容院でカラーリングをしてもらいながら考えてみました。
 

ふと思い出したのは、先月参加したスタンフォードの著名な教授による、ストーリーテリングの授業。
 
自分のアイデア、プロジェクトを広めていくには、共感されるストーリーが有効。共感を集めて、多くの人を巻き込んで成功に繋げていく、という内容です(ものすごくざっくりで、本当はもっと奥深いです)。
共感を呼ぶストーリーをどう組み立てるか、そのポイントなど受講生がそれぞれ自分のストーリーを作ったりしてとても意義のある授業でした。
 
授業の終盤、私は先生に疑問をぶつけてみたんです。

「ストーリーを使う戦略は多くの企業が取り入れています。でも私たちは、あまりにもあからさまな”これで感動するでしょ”というプロモーションには飽き飽きしています。受け入れられるストーリーと反感を買うストーリー、何が違うのでしょうか」
 と。

残念ながら、私の英語力の不足で質問がちゃんと伝わらなかったのか、または教授がすでに話していた「オーセンティック (Authentic=真正の、本物の)が重要なポイントです」という事に重複しているからか、あまり詳しい回答を得ることはできませんでした。
 
(後から他の参加者たちから「Yuko、あの質問は良かった。まさに重要なポイントだと思う」と言ってもらえたので、通じる人には通じていたんだな、と少し安心したのですが)
 
この授業の後には、「うーん、ポイントはauthenticな事なのか、、。ふむぅ」と理解しようとしていたのだけど、イマイチ腑に落ちない自分がいて。
その後も悶々と考えていたわけです。
 
それが、ワニ君の一連のビジネスストーリー(死後の展開も含む)を見て、気づいたわけなんですよ。
 
これは、 authentic(本物かどうか) の問題ではなく、 compassion(思いやりがあるかどうか) の問題なのではないか、と。
 
Authentic の真正、本物、というのは、絶対的な本物、真正はあるかもしれないのだけど、「本物」「真正」の定義はその人が持っている世界観によって変わる事もあるように思っていて。
 
今回の件で言うと、きっとビジネス海賊の方々は、「バズらせてその後のビジネスでチャリンチャリン売り上げを立てることが真正!絶対的に正しい事!」
と考えていると思うんですよね。
 
世の中はそういうモチベーションの下で発展してきたし、豊かになってきたのでその世界観や志向性は否定していません。

今回もかなり話題になったので、プロモーション的には大成功、マーケ施策としても上手く行ったのだと思います。
彼らにとってのauthentic、「話題にしてビジネスを成功させることが正義」は実現できたのかもしれません。
    
でも彼らの authentic で行ったそのプロモーションは、途中で多くの人に違和感を抱かせる事になりました。
私は、それはcompassion(慈悲、思いやり)が足りていなかったからではないか、と思いました(カラーリングがちょうど終わって頭の上をぐるぐるラップで巻いてもらいながら)。
  
・・デザインシンキング(サービス享受者の立場になって考える)の問題かなとも思うのだけど、そもそも彼らには思いやるという部分が欠けているのかもしれず、欠けている状態でデザインシンキングをしたところでピントのずれた設計になるかと、、。←毒舌すみません。一人一人はいい人でも、組織の圧力なのか仕事の中で思いやりセンサーが欠けてしまう事はよく見ているのです。
 
私たちがワニ君に対して感じた感情、身近な人(人じゃなくて一方的に親近感を感じたワニだけど)への死への向き合い方に対して、あまりにも思いやり(compassion) が無い各種プロモーション(死の翌日に追悼ショップとか)が立ち上がっていて、私を含めて多くの人が戸惑っているからこそ、ツイッターでのトレンド入りしたりするのかな、と。
 
全くの仮説なのだけど、このプロモーションを設計した人たちの、ワニ君へのcompassion 、そしてワニ君に親近感を感じていた人たちへの compassion 、そうしたものが欠けていたのが、成功しかけていた「感動マーケティング」に水を差してしまったのかもしれません。

もしワニ君を本当に大切にして設計していたら、もっとワニ君の最期をじっくりと多くの人と振り返る時間も持つだろうし、こんなに矢継ぎ早に追悼マーケを出さないし。

100日休みなく働いて、死後も今がチャンスと追悼マーケティングが続々と立ち上がっ、ワニ君はお金稼ぎの道具として都合よく使われすぎのように思えてしまいます。ワニ君への愛や思いやりが無く、ツールとして消費される存在。。。

本当に共感を持ってもらうマーケティングには、プロダクトや周囲の人たち、そのマーケに接する人達への思いやり、compassion が必要なんだろうな、と学ばせてくれた件でした。

ワニ君どうもありがとう。いろいろと大変だったね。
どうか安らかにお眠りください。

【ついでに、、】

転職エージェントの当社(Probity Global Search Ltd. )では、企業と人材のマッチングで大切にしているワードが
Mission, Passion, Compassion ] なんです。

これは
・企業のミッション
・個人のパッション
を繋いで、
・Compassionate(思いやりのある)社会
を作ろう、という思いで転職エージェントをやっています。

結局私たちが作りたい世界、「いい社会」の「いい」って何か?を考えたら、「思いやりがある」というところに落ち着いた事があって。
便利とか規模がとかではなく、今より少しでも、思いやりのある社会になっていったらなぁ、と思いながら企業と人を繋げています。

だからと言って私が十分思いやりがある人間かと言うと気が利かない部分もあっていろいろとご迷惑もかけまくっている事もあり、どの口が言うか!という声も聞こえてきそうなのですが、何とか自分としては頑張ってまいる所存です、という事でご了承を頂けたら幸いです。


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