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自#204|源氏物語を始め、中古の古典は、そこらに中、セックスだらけ(自由note)

 女子大でも教えている臨床心理士の東畑開人さんが、後期、大学に新入生が初めて登校して来た日のことを、コラムに書いています。4月に入学式を実施してないので、半年遅れで、入学を祝う会を実施します。新入生全員に集まってもらって、学長から祝辞を述べ、授業のオリエンテーションをします。型どおりの儀式です。教員と職員は総出で、清掃とソーシャルディスタンスの徹底、混雑防止のために廊下で誘導、学内放送でも「感染を予防しましょう」と、何度もアナウンスします。会は、粛々と行われ、学生たちは、私語もなく、マスクで硬く顔を覆って、神妙に話を聞いています。不気味なほど、静かです。混乱もなく、密を防止して、無事、会は終了。
「これで、終わります。案内に従って、下校して下さい」と、MCが会の終了を告げると、学生たちは、整然と退出して行きました。が、廊下に出ると、そこら中で、黄色い声が上がり、歓声が聞こえるようになりました。ひとりの女の子が、別の子に
「こんな顔だったんだね。超かわいい。会いたかったよ」と伝えると
「超会いたかった」と、返します。一ヶ所で、会話が始まると、あちこちで、一斉に会話がブレイクします。手を握り、抱きつき、大声で笑って、興奮してはしゃぎ始めます。超過密の混乱状態です。下校の指示を出した後ですから、大学の教職員は、この超過密の混乱状態を、放置します。当然です。あとは学生達の自己責任によって、行動すべき舞台です。コロナウィルスによって、人を怖がったり、避けたりと云った行動を強いられたとしても、人間は、結局、人を求めることをやめられません。リアルで、過密状態になって、コミュニケーションをする、そういうことが楽しいし、喜びなんです。

 私は、バンドの部活の指導者だったので、ライブイベントを、数限りなく実施しました。ライブのサビは、観客がモッシュ状態になって、心情的にステージと一体化する瞬間に現れます。超過密のパンクっぽいsceneですが、これが、ライブの最高の醍醐味です。密を避け、ソーシャルディスタンスを適度に保つライブなど(私の概念では)あり得ません。

 人と人とが超過密になって、ソーシャルディスタンスが、心理的にも、実際の距離的にも消滅してしまうのが、恋愛だと言えるのかもしれません。ハンドバッグを落としたキャリーは、ミスタービッグに、スキンを拾われてしまいます。普通だったら、旅の恥は掻き捨てって感じで、この不名誉なアクシデントを忘れ去って、なかったことにすると思いますが、キャリーは、転んでもタダでは起き上がって来こなかった鎌倉時代の地頭のように、素早く相手の左手の薬指に指輪がないことを確認し、自分好みのハンサムなイケメンであることを認識した後、笑顔でコミュニケーションをします。恋の可能性が、今、突然、ふって湧いて来たんです。キャリーは、スキンを拾われたくらいで、引き下がるような、ヤワで、おぼこな娘ではありません。キャリーは、お礼を言って去って行く時、ワンピースの裾を直しながら、よろけそうになります。あれが、巧みに足を見せるセックスアピールなのかどうかは、私には判りませんが、ミスタービッグは、キャリーが人混みの中に、消え去るまで、ずっとwatchingしていました。

 キャリーが、スキンを常にバッグの中に忍ばせているのは、「(良い?)セックスをするためには、どんなchanceも見逃してはいけない」と云うコンセプトに基づく、お約束事項なのかもしれません。私は、アメリカの未婚の女性は、基本、ピルを服用していると、思い込んでいました。私自身は、薬嫌いですから、薬を飲んで妊娠を避けると云った行為は、個人的にはNGですが、欧米では、ピルは副作用の少ない、安全な薬として、ちょっとした風邪薬やアスピリンレベルの気軽さで、服用されている筈です。そもそも、スキンを女性が持っていて、それを男に、おそらく装着もしてあげて、使わせるとかって、その道のプロの女性っぽくて、アメリカの男だって、普通は、引くんじゃないかと思います。相手が引いたしても、きちんと引きつけておけるだけのセックスの技術が、キャリーにあるのかどうかは、ドラマを見ていても判りません。そもそも、女性のセックスの技術が、良い、悪いと云った風な話を、これまでの人生で、私は、誰からも聞いたことがありません。源氏物語を始め、中古の古典は、そこらに中、セックスだらけですが、セックスに関する、直接的な描写や、技術、感想などと云ったことは、一切、綴ってません。が、私の根拠のない直観ですが、Sex and the Cityの4人の中で、セックスの技術力が高いのは、サマンサで、シャーロットは、もしかしたら多少はいいのかもしれませんが、ミランダと、キャリーは、いたってノーマルな普通レベルなんじゃないかと想像しています。

 スキンを常に持っているのは、感染症の予防対策と云う意味もあると推測しています。私の教え子のM子は、大学生の頃、スキン普及のボランティア活動をしていて、いつだったか私の勤めている学校に、パンフレットを持ってやって来て
「高校生の男子が、妊娠と感染症の予防のために、きちんとスキンを使うように、先生も指導して下さい。先生の部活の男の子とか、高校時代から、積極的にそういう行為をしていると思いますから」と、諭されてしまいました。私は、部活の幹部の男の子とは、どの学年とも、結構、仲良く付き合って来ましたが、幹部の男子が女の子と付き合っているとして
「で、もうセックスしたのか?」などと聞いたことは、一度もありません。そんなプライベートなことに、学校の教師は立ち入ってはいけないと考えています。「旅立ちの日」と云うリバーフェニックスが、高校生役をやっている映画の中で、朝帰りした息子に、父親が、「で、彼女とはもう寝たのか? オレはいい子だと思うよ」と伝えるsceneがあります。「うわぁー、カッケー」と感銘を受けましたが、あれだって、現実問題、そう簡単には言えません。

 ポールオースターが、高校時代、ずっと好きだった女の子と、大学生になって再会し、やっとセックスをしたそうです(当時、ポールオースターの故郷のニュージャージーの女の子は、高校時代はセックスさせなかったそうです。大都会のニューヨークだと、普通にありだったそうですが)。これはエイズ以前の話です。相手は、大学生だし、当然、ピルを服用している筈です。で、スキンなしで、セックスします。その後、局部がかゆくなり、虫眼鏡を使って、局部を見てみると、ちっちゃな蟹のような虫が、とんでもなく無数に、局部の林の中に、生息していたそうです。
 ずっと好きだったんだぜ。ついに言い出せなかったけど
 ずっと好きだったんだぜ。キミは今も綺麗だ(by 斉藤和義)
と云う女の子に、毛ジラミをうつされてしまったんです。さすがに、どんなに好きでも、こうなると、百年の恋も、いっぺんに冷めてしまいそうです。スキンをしていても、毛ジラミは感染するのかもしれません。まあ、ですがマナーとして、未婚の男性の場合、スキンは、やはり使用すべきです(ですよね、M子ちゃん。もっとも、M子ちゃんは、このノートを読んでないとは思いますが)。

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