見出し画像

自#068|その国と、密接に結びついた、各民族の文化が存在しています(自由note)

 横笛とフルート奏者の西川浩平さんのインタビュー記事を読みました。西川さんは、66歳です。トランペットやサックスですと、歳を取ると、音を出すのが(肺活量的に)大変そうですが、横笛&フルートでしたら、肺活量、体力が落ちても、それに合わせた吹き方ができそうな気がします。

 西川さんは、中学校の吹奏楽部に入って、フルートを吹き始めたそうです。24歳で大阪フィルハーモニー楽団のフルート1番奏者に就任し、その年に、オーストラリア国際フルートコンクールで第3位入賞を果たしています。中学生からフルートを始めても、才能があって、努力すれば、プロになることは可能だと云うことです。

 高校生の時、歌舞伎の能管(横笛の一種)を聞いて、横笛の練習を始めたそうです。が、「横笛は趣味の域を出ず、どうしても納得できない」と反省し、本格的に横笛を学ぶ決意をされたようです。背水の陣で臨むために、27歳で大阪フィルハーモニー楽団を退団します。「和洋の違いはあれど、同じ横笛。こちらの頂から尾根伝いに向こうの頂に登れる」と考えていたそうです。つまり、富士山に登るためには、御殿場口、富士宮口、富士吉田口と、いくつかスタートラインがあって、それぞれ違うルートで、富士山に登る訳ですが、最終的には富士山の頂上に辿り着きます。フルート、横笛と、楽器は違っていても、同じ所に辿り着く筈だと、西川さんは考えたわけです。が、邦楽の横笛を本格的に始めてみると、洋楽器と和楽器の演奏では、言語が根底的な所で、異なっていると云うことを発見します。フルートと横笛とでは、音色がまったく違います。音色が違えば、学び方のスタイルは違うでしょうし、最後に到達する着地点も、当然、異なっています。「邦楽の旋律を五線譜に落とし込むことはできても、そのまま吹くだけでは、一流の演奏はとてもできない。邦楽の家元に伝わる口唱歌(くちしょうが)と呼ばれる、西洋音楽の理論では説明できない口伝を、頭に叩き込まなければ、スタート地点にすら立てなかった」と、西川さんは述懐しています。

 30歳前に封建的な邦楽の世界に、本気で足を踏み入れたわけです。邦楽の家元の子弟であれば、3、4歳から(遅くても5、6歳)から修行を始めます。高校の進路担当ですと、
「二兎追うものは一兎も得ずってことに、結局、なる。フルート1本でやって行け」と、たとえ卒業していても、きっぱりとアドバイスする場面だろうと思います。

 西川さんは横笛のレッスンを受けます。収入は限りなくゼロなのに、結構な額の稽古代が必要です。深夜に焼き肉屋の鉄板洗いなどのバイトをして、稽古代を捻出していたようです。西川さんは、ひたむきに努力していますが、古巣のクラシック界からも、邦楽の世界からも、二刀流への情熱の理解は得られず、双方から冷たい目で見られていたと、当時を振り返っています。

 歌舞伎の囃子方の仕事に就いて、何とか経済的には安定した状態になったんですが、囃子方として、横笛を吹くことは、自分のやりたいことではないでしょうし、40歳で囃子方をリタイアして、カナダに行きます。東晋の法顕が、求法のためにインドに赴いた時、62歳でした。帰国したのは14年後です。法顕は、4Cのお坊さんです。21Cのアーティストが、40歳でカナダを目指すのは、別に不思議じゃないし、それもありかなとは、一応、思っています。が、現実問題として、たとえアーティストであっても、そこまでやれる人は、そう多くはいないと想像できます。

 ピアニストの奥さん、洋楽の打楽器奏者、中国琵琶の奏者、作曲家と組んで、西川アンサンブルを結成し、さまざまな民族楽器の編成で、各国・地域の文化や歴史の枠を超えた普遍的な音楽を目指したそうです。言葉で読むと抽象的ですが、音色を聞けば、おそらく腑に落ちるんだろうと思います。
「移民が多く、さまざまな文化が混然となったカナダの人々は、聴衆として最高でした」と、語っています。

 日本で、たとえば、大学を卒業して、ロックバンドを編成して、プロを目指したとしても、99.999%、プロにはなれません。大学を卒業して、バンドを始めて、プロになったのは、私が知る限り、スターリンの故遠藤ミチローさんだけです。フルートと横笛の二刀流を受け入れる文化的な基盤は、日本には存在していません。30歳ちょっと前から、横笛を始めた人は、どんなに上手くても、アマチュアだと思われてしまいます。

 西川さんは、10年間ほど、カナダで活躍をされて、日本に戻って来ます。現在は、大学など、さまざまな教育機関で、邦楽の講師として教壇に立って、著作者としても「敷居の高い」邦楽の世界を紹介し、演奏活動もされています。海外で、10年間活動したと云う実績は「ハク」として評価されている筈です。

 クラシック系で楽器を学ぶ人は、音大に進学します。志を同じくする人たちと出会えるのは、音大の大きなメリットだと言えます。が、まあ学費が高すぎます。それと、音楽は、学校で教えられるものなのかと云う、そもそもの根本的な問題もあります。人との出会いは、重要です。自分が師としてリスペクトできる先達と出会って、その方の人間的な影響を受けながら、邦楽における口唱歌(くちしょうが)のような、その先生だけが、あうんの呼吸で伝えられるメソッドのようなものも、多分、あるだろうと思います。結局は、自分が師として、仰ぐことができる人との出会いが、あるかどうかに、かかってています。日本の音大に行かなくても、オーストリア(オーストラリアじゃなくて)、ドイツ、ロシアと云った国の音大を目指す方向もありだと思います。生活費はかかりますが、ヨーロッパの大学(except UKです)は、さほど学費は高くない筈です。

 私は、ここ1年4ヶ月くらい、ずっと源氏物語を読んでいます。毎日です。読まない日は、一日もありません。はっきり解ったことは、源氏物語が到達している世界は、ドストエフスキーが到達している世界とは、まったく違うと云うことです。文学は、決して、普遍的なものではありません。その国の国語と、密接に結びついた、各民族の文学が存在しています。洋楽と邦楽も、当然ですが、その本質は違っている筈です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?