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自#075|社会のためにいい仕事をするのは、30歳からで、充分(自由note)

 中野信子さんと、内田也哉子さんの対談記事を読みました。中野さんは、ハードロックがお好きな脳科学者です。中野さんが、文春新書から「サイコパス」を出版された時、すぐに読みました。サイコパスの用語も、概念規定も腑に落ちました。

 メンヘラな生徒は、沢山います。SNSとかネット上での彼等、彼女たちの行動については解りません。が、学校生活の表面に見えている部分に関しては、多くのメンヘラは、無害です。本人にコミュ力がないだけで、周囲には迷惑はかけてません。が、メンヘラの中でも、何かの折に、突如、攻撃的になり、周囲を傷つけ、トラブルを引き起こす、突然変異とも言うべきメンヘラがいます。その突然変異種が、つまりサイコパスです。生徒を勝手に分類するのは、ちょっと申し訳ない気持ちもあるんですが、分類しないで、ありのままに生徒を受け止め、対応するとなると、ごく少数の一人か二人の生徒の対応しかできなくなってしまいます。クラスに生徒は40人います。私が顧問をしていた部活は、常時、クラスの倍以上の部員がいました。ある程度、効率的に生徒に接し、対応する必要があります。分類し、整理しておくことも、やむえません。これも必要悪です。

 中野さんの本は、「サイコパス」以外にも、いくつか読みました。分類し、整理し、最低限のさほど的外れでない対応をすると云ったことが、中野さんの本を読むことによって、効率的にできるようになりました。中野さん御自身にも、未解決の問題がきっと沢山あります。私は、河合隼雄さんの本を、かなり読みましたが、私が読む限り、河合隼雄先生には、未解決の問題はないと感じてしまいました(本当は、そんなことはない筈ですが、相手のスケールが大きすぎて見えないんです)。河合隼雄さんは、真のスーパーバイザーで、ちょっと近寄りがたい印象ですが、中野さんは、近所にいるちょっと変わったカウンセリングのお姉さん(カウンセラーではなく脳科学者ですが)って感じで、親しみが持てます。そんな風に一方的に親しみを感じながら、対談記事を読みました。

 内田さんの上の二人の子供さんは、12歳から欧州のボーディングスクールに入れたそうです。おそらく、イギリスです。全寮制の生活で、学校教育も含めて、すべての面倒を見てくれます。親が子供を成長させるのではなく、ボーディングスクールのハウスマスターや、先生方、同級生同士が、お互いを成長させます。お金はかかります(一年間で500万円くらい)。ですから、ある程度、資産があるファミリーじゃないと、ボーディングスクールには、行かせられません。イギリスのパブリックスクールなどは、ボーディングスクールの典型です。つまり、親は教育できないと云う前提で、ボーディングスクールは設立されています。しつけも含めて、すべての教育を、ボーディングスクールが、請け負ってくれます。内田さんの一番下の子供さんは、インターナショナルスクールに通っています。日本の学校教育のシステムには、まったく頼ってないと云うことです。ひとことで云うと、ある意味、究極の意識高い系です。

 中野さんは、デスノートを書いているそうです。あっ、やっぱりねって感じました。ぶっ殺したいと考える相手も、もしかしたらいるかもしれません。そしたら、すぐさまデスノートに明記って感じです。不満、不安などもデスノートに書き綴ります。こういう風に吐き出しておいて、デスノートは、最後、燃やします。それによって、もろもろの怨念が、雲散霧消すると云うシステムなんだろうと思います。声を出して、大声で叫び、罵詈雑言を人のいないとこで、見えない相手に浴びせかけると云うのも、効果的なストレス解消法だろうと云う気はします。私の知り合いで、冷蔵庫の中のものを、ドカ食いして、トイレで叫んで、ストレスを解消している人がいました(今もやってるかもです)。冷蔵庫の中のものを、ドカ食いすると、血糖値が急上昇してしまったりするかもしれないので、そこはまあ、軽くつまんでおいて、トイレで叫ぶ方が、よりbetterかなって気はします。

 大きなカボチャにぶっ殺したい相手の写真を貼り付けて、「オレの話をちゃんと聞け」と、叫びながらハンマーで、カボチャをこなごなにして行くと云ったセラピー(?)もあるようです。カボチャがもったいないって気はしますが、自分を癒やすためのセラピー代だと思えば、そう高くもないリーズナブルな金額です。

 私は、母との確執が、人生の悩みの大半でした。肉親の場合、そう簡単に気持ちは切り替えられないし、整理もできないんです。肉親との人間関係で、徹底的に悩んだり、苦しんだりしていると、他人との人間関係の方は、まあそう深刻にならず、軽目に行けるのかなと云う気はします。中野さんの人生相談のアンサー回答を読んでいると、他人のことは、客観的に軽やかにアドバイスできているなと感じてしまいます。

 私は、母との確執があって、あと自分自身の内部で、勝手に問題を作り出して、悩んでいましたから、他人へのアドバイスは、やっぱり客観的で軽い感じだったと、自分では思っています。そうは言っても、形而上学的な目方が、かかっているセリフ、言葉がちょいちょい含まれたりはするので、重く感じた方もいるかもしれません。が、私のことが、絶対に無理だと直観で判断している人は、100%、相談には来ませんから、喋る前から、選ばれた人しか、やって来ないと云う仕組みには、なっていると思っています。

 中野さんは「私のように、社会通念に対して、いつも疑問を持っていて、それに対してのアンチな気持ちを忘れずにいる人間の子供なんて、絶対に犯罪に走るのではないかと思って」と語っています。うーん、解るわぁ、って感じです。が、私の方が、中野さんよりはるかに歳上です。これは、起こりません。子供は、親とはまったく違う、別の人格なんです。子供は、子供で、勝手に成長して行きます。私は、まあ結構、ヤバい教師ですが、私の教え子たちは、全然、ヤバくないです。私とは比較にならないくらい、みんなちゃんとしています。明らかに、私は、反面教師としての役割を果たしています。子供だって同じです。親とは、全然、違う方向に成長し、進んで行きます。

 中野さんは、「脳は30歳ぐらいまでは未完成なので、それまで的確な判断ができないし、人に共感することもしにくい」と語っています。個人差は、ありますが、概(おおむ)ね、そうです。30歳になると、周囲の見え方も変わって来ます。ですから、十代、二十代は、自己中心的に自分の人生enjoyすればいいと、私は思っています。私自身の経験を振り返っても、20代の終わりまでは、間違いなく青春時代でした。社会のためにいい仕事をするのは、30歳からで、充分です。

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