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教#040|ペパーミントのようなみどりが、つまりconversionだったのかもしれない~ブルーピリオドを読んで⑪~(たかやんnote)

 体力作りのために、玉川上水沿いの遊歩道を、夕方、走っています。ごくたまに、景色が、神秘的と言えるぐらいに、きれいに見える時があります。個々の事物がきれいに見えると云うよりは、全体の雰囲気が、神々しく美しく見えます。こちらの精神の特別な状態に照応している、一種の錯覚のようなものかもしれません。他の人も、自分と同じように美しい景色を見ているとは思えません。景色が美しいと云うのは、おそらく主観的な価値判断のようなものです。昨日は、新緑のみどりがきれいでした。ペパーミントに近いみどりです。

 高校時代にシェンキェンビッチの「クォ・バ・ディス」を読みました。世界史の授業で帝政ローマを学習していた頃でしたから、高2の5月くらいです。その頃ですと、私の故郷でも、新緑がきれいに見える時期です。ペテロが、ローマでの布教を諦めて、アッピウス街道を南に下っていると、天上にイエスが現れます。ペテロが「Quo va dis Domine?」(主よどちらに行かれますか?)と聞くと「オマエが、ローマを捨てて逃げて行こうとしているから、自分がオマエの代わりにローマに行って、もう一度、十字架にかかる」と答えます。イエスの言葉を聞いて、ペテロは反省して、元来た道を引き返し、再びローマに向かいます。が、主と同じ死に方では、申し訳ないので、逆さにして十字架にはりつけてくれと頼んで、最後は、逆さ十字でペテロは、殉教します。手元に資料があるわけではなく、50年くらい前の記憶を頼りに書いているので、ラテン語の綴りとか、間違っているかもしれませんが、おおむねこんな風な描写でした。その頃、住んでいた部屋は、三方向に窓があって、新緑のみどりに取り囲まれていました。そのみどりが、やはり、昨日見たようなペパーミントに近い、それでした。この時、キリスト教の神の声が聞こえていたら、私はクリスチャンになっていました。つまりconversionが起こっていたわけです。が、神の声は、私は65年間、一度も聞いたことがありません。ただ、このペパーミントのようなみどりは、その後も、人生の節目節目で、何回か出現しました。もしかしたら、このペパーミントのようなみどりが、つまりconversionだったのかもしれません。

 それはともかく、私がもし画家を目指していたら、このペパーミントのようなみどりをね何とか具体的な形にして、表現したいと悪戦苦闘していた筈です。ちなみに、私が感じていたみどりに一番近い色が、セザンヌのサントヴィクトワール山のそれです。

 八虎が、画塾の担任の大葉先生に、「色」について考えてみたいと打ち明けると、先生は「色は習得が難しい」と、即座に却下します。受験は、あと2ヶ月後くらいに迫っています。そんな短期間に自分の武器になる色が、獲得できる筈ないです。そもそも、色は、考えるものではありません。大きな摂理が、アーティストに、勝手に送りつけて来るものだと、私は想像しています。八虎の場合だと、初心に帰れば、渋谷の明け方の「青」を追求することになります。が、人間は、そうそう簡単に、初心に帰れるものではありません。「初心忘るべからず」と云う言葉がありますが、残念ながら、初心は忘れてしまいます。ですから、帰れません。私だって、教師の初心に帰ったことなど、かつて一度もありません。帰れないからこそ、初心なんです。私は、絵が好きで、かなり多くのアーティストの絵を画集で見て来ましたが、デビューの頃(つまり初心の頃)の色に帰っているアーティストは、一人もいません。どこかで、人生の大サビみたいな時期が来て、テーマの色を確定すると、あとは、それのバリエーションを、アレンジして行くんだろうと思います。ですから、たかだか受験生に過ぎない八虎が、色について考えるのは、どっちにしても、時期尚早だと言えます。

 大葉先生は、八虎に画材の扱いを工夫してみたらどうかと、アドバイスします。たとえば、木炭をぼかす道具だったら、筆・けしゴム・ガーゼ・爪・さっぴつ・食パンなどなど、いくつもあります。で、それぞれすべてニュアンスが違います。自分の表現に合う絵肌(マチエール)を拵えることができれば、作品に奥行きと勢いが出ます。

 私は、絵は描きませんが、字は昔から書いています。最初は鉛筆。小学生の頃は、ずっと鉛筆でした。が、2BとHBとでは明らかに違います。私は、HB以上の硬い鉛筆は、一度も使ったことがありません。鉛筆の硬さも、線の細さも自分には合ってないんです。Bは、6Bまで使ったことがあります。HBも好きじゃなくて、B~4Bくらいまでが、自分の許せるゾーンです。たまに、鉛筆で原稿用紙に下書きをしますが、Bか2Bです。会社は、トンボでも三菱でも、どこでも構いません。シャープペンシルは不可です。シャープを使ったら、原稿は一枚も書けません。

 中学生になって、万年筆を使い始めました。最初は、初心者が使う安物のセーラー。インクは青でした。中2で手紙を書き始めた頃、パイロットに乗り換えました。インクは黒。高校に入ってからもパイロットで、ペン先を3回換えた記憶があります。あっ、そうそう、パイロットの万年筆を使って、世界史のサブノートを作っていました。サブノートを作るのが、当時、流行っていました。サブノートを作るのが、勉強の王道みたいな固定観念も当時、はびこっていました。が、声を大にして言いますが、サブノートなんて、作る必要は、まったくありません。非常に非効率な、費用対効果の悪い勉強法です。そもそも、ノートをきれいに整理する生徒は、だいたいにおいて、要領が悪く、成績も伸び悩みます。ノートなんて、ぶっつけの書き殴りで全然、構いません。そもそも、ノートを取る必要もないです。必要なことは、すべて教科書に書いてあります。教科書を読んで、アウトプットの訓練として、問題演習をやる、これが王道です。

 大学生になって、ようやくモンブランの万年筆を買いました。吉祥寺の東急の9階にある紀伊國屋書店で、バイトをして、そのバイトで稼いだ金を持って、アメ横に行って、5万円のモンブランの極太万年筆を、2本買いました。まったく同じ種類の万年筆ですが、二本の書き味は違います。その後、ペン先をそれぞれ7、8回換えて、ワープロが登場するまで、モンブランを使っていました。インクはセピアです。セピアのインクで、浅葱色の西洋紙にメッセージを綴って、山吹色の封筒に入れて、手紙を出すのが、20歳~29歳くらいの10年間のmy favoriteなroutineでした。画材に限らず、道具に凝ることは、やはり大切です。

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