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自#134|サンセットパーク1(自由note)

 ポールオースターが、リーマンショックの直後に書いた、サンセットパークを読みました。リーマンショックは、正真正銘の激震でした。その頃、前の学校で就職担当を務めていて、府中のハローワークに行く度に、順番待ちで建物の外に長蛇の列を拵えている、失業者の大集団を見て、不況の深刻さを改めて痛感しました。リーマンショックは、どうにかこうにか、乗り切ったとは思いますが、リーマンショック後の社会は、明らかに貧富は二極化しました。それは、おそらくリーマンショックの本家本元であるUSAでも、同じです。サンセットパークは、小説ですから、経済の分析などは、預かり知らぬことだと思いますが、リーマンショック後のアメリカ人の生活の様子は、それとなく皮膚感覚で理解できるだろうとと言う目当てを設定して、読み始めました。

 表紙見返しのページに、4人の人物のイラストが描かれています。写実的ではなく、ディフォルメしてあります。最上段の彼は、広いがっしりとした背中を見せて、スティックを持ち、ドラムを叩いています。中段の右の彼女は、スケッチブックにおそらく鉛筆でドローイングを描いています。中断左の彼は、カメラを構えています(リーマンショック直後くらいですと、スマホはまだ普及せず、写真はカメラで撮っていました)。一番下の彼女は、ノート型パソコンに向かって、キーボードを叩いています。主要な登場人物は、この4人だろうと想像できます。

 最初に登場するのは、マイルズ・ヘラーと云う青年。彼は、捨てられた物の写真を撮っています。毎日、毎日、大量の物が捨てられ、日々、おびただしい量の過去の歴史が、消え去って行きます。リーマンショック以後は、そこかしこ、挫折の物語だらけです。破産と債務不履行、借金と差し押さえの物語です。これまで住んでいた家から、より小さな部屋に引っ越し、あるいは車中生活をし、ネカェ難民となり、路上生活に移行した人だって沢山います。持って行っても置く場所がないので、家財道具を捨てて行きます。残存物撤去の仕事をしているマイルズは、霧散した人々の人生の最後のかすかな痕跡を史料として残すために、写真を撮っています。これは、仕事ではありません。まったくのボランティア精神に基づく、奉仕活動です。

 4人のチームで、残存物の撤去作業をしています。チームのボスは脳死のヴィクター(脳死と云う意味は、知性、理性のカケラもないと云う風な意味です)。吃(ども)りのお喋りパコ(吃りでお喋りだと何と言ってるか理解不能です)。ぜいぜい喘(あえ)ぐデブのフレディ。この3人のことを、マイルズは、破滅三銃士と名づけています。マイルスは、仕事に必要なこと以外は、一切、何も喋らないので、唖者(おし)と云うニックネームをつけられています。

 マイルスたちの仕事のエリアは、フロリダの南部。湖や沼、海など自然に包まれた保養地です。リーマンショックの前は、次々に年金移住者が住むような、瀟洒(しょうしゃ)な家が建てられていたんだと推測できます。1929年の大恐慌レベルの不況が襲って来て、ローンが支払えなくなり、家を手放し、かつてのリッチそうに見えた住民は、雲散霧消しつつあるわけです。

 残存物撤去の仕事は、毎日、最低、二件はあります。多い時だと、一日、6、7件。残存物撤去は、大不況の結果、繁盛しはじめた仕事です。
「立つ鳥跡を濁さず」と云う諺(ことわざ)は、アメリカの南部地帯には、おそらくないと推定できます。どっちかと云うと、立つ鳥跡を濁しっぱなしです。自分のせいではないのに、いきなり襲って来た大不況に対する、うらみ・つらみ、ルサンチマンと云った感情も当然、あると思います。マイルズたちが家の中に入って行くと、多くの場合、暴力と怒りの爆発があり、別れの挨拶代わりのでたらめな破壊行為が、そこには存在します。流しやバスタブの蛇口が開け放たれて、あふれ出ている水。ハンマーで壁に開けられた大きな穴。猥褻(わいせつ)な落書き。弾痕だらけの壁。もぎ取られた銅管。漂白剤のしみがついているカーペット・・・等々。匂いも強烈です。中に入ると酸っぱい空気が、わっと鼻孔(びこう)を襲って来ます。白カビ、饐(す)えた牛乳、猫のトイレ、汚れのこびりついた便器。キッチンの調理台の腐りつつある食べ物・・・等々。マイルズは、捨てられた、忘れられた物たちの写真を撮ります。油絵、人形、ティーセット、ボードゲーム、パーティドレス、フィギュア、ライフル、変色したマットレス、絹の肌着、鳥籠の底に横たわったカナリアの死骸。

 マイルズは、現在、28歳。自ら知る限り、何の野心もなく、まっとうな未来を築くためには、何をすべきかも解っていません。解っているのは、フロリダには、もう長くはいそうにないこと(残存物撤去の仕事は、次々に片付けて行ったらなくなってしまいます)。他所へ行く必要を感じる時が、必ず来るだろうということ。

 大学は中退してます。大学を辞めてから7年半の間、アメリカの各地で、フリーター生活を続けて来ました。フリーター生活を通して身につけたことは、簡単に言うと、現在に生きる能力。今、ここに自分を限定する能力。何の計画も持たないこと。すなわち、何の渇望も希望も持たず、現状に満足し、日の出から日の入りまで、世界が分け与えてくれるものを受け容れる。そういう能力と云うか生き方です。これは、日本の東京や大阪のような大都会で生活しているフリーターにも、同じことが言えると思います。病気をせず、健康に留意すれば、五十代の終わりまで、フリーター生活で、何とかカツカツで食って行けます(五十代になると、交通整理とか、ビルの清掃、トラックの運転手、介護など、職種はかなり限られて来ますが)。が、還暦を超えると、仕事は、ほぼなくなりますし、蓄えも年金もなく、普通に路頭に迷ってしまいます。日本は、福祉のセーフティネットが、ある程度、機能していますが(今から40年後に機能しているかどうか判りませんが)アメリカは、自己責任の社会なので、マイルズ青年(28歳だからまだ青年ですが、30歳になると、ただのオヤジです)の未来は、どう考えても、暗澹(あんたん)としています。

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