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自#126|勢津子おばさんの青春物語~その19~(自由note)

 新宿歌舞伎町で働くホストたちが、定期的に歌会を開催して、「ホスト万葉集」と云う歌集を出版したと云う記事を読みました。きっかけは、2年前の夏に、歌人小佐野弾さんの歌集の出版記念会を「歌舞伎町ブックセータ」で開いたことだったそうです。その時、参加したホストが、即興で短歌を作り、小佐野さんと、同席していた歌人の野口あや子さんが、アドバイスし、その後も、二ヶ月に一回くらい、出勤前に「ホスト歌会」を開催するようになった様子です。

「見つめ合いあっこれダメだね照れ笑いカラダは離すもココロは密で」
この歌は、自粛期間中の5月、ウェブ会議システムZoomを使った歌会で源氏名Musashiさんが詠んだ一首。「リアルに景色が浮かぶ。瑞々しい一首。いろんな人の心に刺さる普遍性がある」と、選者の小野田さんに激賞されたそうです。

「会えない日々いつかまた会う日を望み84円に気持ちを乗せる」(宮野真守)。この歌を選んだ俵万智さんは「84円っていうのが具体的で面白い」と褒めると、「記録性があり、時代を超えて残る歌。どんぴしゃりでうまい」と、小佐野さんも続けます。短歌王子の異名を持つ宮野さんは、実際に手紙も出しているそうです。「Lineもいいんですけど、手書きは気持ちが伝わると云うか、特別なものになる」と、宮野さんは語っています。

 歌舞伎町は、現在、苦しい状況に置かれています。歌会を主催しているのは、歌舞伎町商店街振興組合で常任理事を務める手塚マキさん。手塚さんが経営するホストクラブも、6月までの4ヶ月間で、1億円の赤字を出しています。「夜の街」を繰り返し非難され、ホストたちの気持ちも弱っていたそうです。そこで手塚さんは、ホストたちが自暴自棄に陥らないようにZoomによる歌会を開催したそうです。

 Zoom歌会では、キーボードを使って31字(みそひともじ)を打ち込むわけではなく、リアルの歌会と同じように、短冊に書いて、その短冊の写真を撮って、選者の所に送付していると推測できます。ホストが書いた短冊も啓示されています。手書きの字には、個性が満ちあふれています。

「嘘の夢嘘の関係嘘の酒こんな源氏名サラナライツカ」。これは、世話役の手塚さんが詠んだ歌です。荘子の「胡蝶の夢」では、一応、荘子が夢で胡蝶になっているんですが、胡蝶の方が現実で、荘子は、胡蝶が夢で見ているヴァーチャルじゃないのかと云う風な見方も成り立ちます。ですから、源氏名の方が、もしかしたら、本当かもと云う推論も可能です。嘘の夢、嘘の関係、嘘の酒、こういったものが魅力的で、ある意味、リアルだからこそ、この歌は訴えかけるpowerを持っているとも言えます。

 ホストたちにとって、たとえそれが、ヴァーチャルで擬似的なものであろうと、恋愛が、日々の生活の中で、大きな部分を占めています。恋愛のあの感じを、言葉にするとすれば、短歌以外に表現形式は、あり得ないと、おそらく日本人のDNAの中に、刷り込まれています。万葉集の昔から、「相聞」こそが、短歌の真骨頂だと言われています。私は、毎日、源氏物語を読んでいますが、相手に自分の感情を伝えるツールは、相聞の短歌です。源氏物語を実際に読めば、嫌と云うほど判りますが、人事の中で、一番、大切なのは、恋愛です。恋愛状態が存在するからこそ、服装、調度、部屋、庭、自然現象などが、引き立てられるんです。

「彼らの歌は、ド直球。格好つけていた鎧も次第に取れて、やわらかい感情や傷つきやすい部分が歌を通して伝わって来るのも魅力です」と小佐野さんは語っています。やわらかい感情や傷つきやすい部分が垣間見えてこそ、恋愛は奥行きを持ちます。

「現代の光源氏ともいえるホストのみなさんは、Lineをまめにされているせいか、最初から短く言葉をまとめるのが、うまいなと思いましたね」と、これは俵万智さんの感想です。言葉を綴って、それを人に見てもらい、認めてもらい、褒めてもらう。ホストでなくても、誰しもがこういう経験をしてみたいと、きっと思う筈です。

「トランプの絵札のように集まって我ら画面に密を楽しむ」。これは、Zoom歌会で俵万智さんがお詠みになった歌です。俵さん自身は、絵札ではないです。ハートの3とか6とかそのヘンです。絵札は、Zoom歌会であっても、お使いに行くような格好ではなく、びしっと、服装をキメているホストのみなさんです。画面は、当然、絵札で密になってしまいます。絵札が並ぶと、ポーカーで云うとフラッシュとかロイヤルストレートフラッシュになった時のように、わくわく楽しめる、この歌は、そういう意味だろうと、勝手に想像しています。

 恋愛オクテの勢津子さんは、相聞の歌は、お詠みになっていません。昭和20年5月25日、空襲に遭って、世田谷の自宅が全焼します。焼けた後、歌を詠んでいます。相聞の歌は詠んでいませんが、自宅との別れの歌は、お詠みになったわけです。

「天の火の棟焼きおとす音ききつ身も世もあらず伏し拝みいつ」
 とんでもないカタストロフィーに遭遇した時、人は、身も世もあらず伏し拝むことくらいしかできないと思います。で、少し時間が経過してから歌を詠んで、心を整えます。

「いかばかりあつき思いに枯れしかと庭の楓にほほずりをしき」。家は焼けましたが、庭の楓は焼け残ったんです。モノ言わぬ樹木の楓であっても、生き残ってくれたら、やっぱり嬉しいし、励まされます。

「劫の火のすべて終りし朝あけてわが転進のあしたなりしか」
 自宅が焼けて、本来、無一物の状態に置かれたからこそ、「精進の人、神の兵」として、前に進んで行けると言うことなのかもしれません。「転身」ではなく「転進」です。間違いなく、大きく一歩、踏み出しています。  

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