見出し画像

自#199|Sex and the City⑰(自由note)

 キャリーは、1年以上、Sexしてないスキッパーを、ミランダに紹介します。スキッパーがミランダに、気に入られると云うことは、あり得ません。スキッパーは、優しくて、いい人だと思いますが、女性に気に入られる外見を備えてません。外見偏差値の低い男は、いくらheartがあったかくて、内面がすぐれた人間であっても、恋愛ゲームにはエントリーできません。恋愛は、見た目が、ほとんどすべてです。無論、内面がある程度、すぐれてないと、恋愛は長続きしませんが、外見がすぐれてないと、そもそも、恋愛は始まりません。

 後日、ミランダが「よくもあんな、見た目、ひどい男を、あたしに紹介したわね」と、キャリーをなじったとしても、「ゴメン、あれは実験だったのよ」と、不二家のペコちゃんのように舌を出して謝り、笑っていい訳ができる、そんな忌憚のない友人関係です。キャリーの実験と云うのは、ミランダが、スキッパーに恋愛感情を持つことは、100パーセントないとして、果たして、恋愛感情なしに、ミランダはスキッパーとSexできるだろうかと云うことを、検証してみたかったと云うことです。つまり、女も男同様、愛や恋愛感情のなしでSexできるかどうかをリサーチし、その結果をコラムで、まとめようとしているんです。

 ですが、わざわざ実験する必要は、まったくないと思われます。女性だって、男同様、愛も恋愛感情もなしで、Sex出来ます。でないと、売春と云ったビジネスが、成立する筈がないです。セフレと云う言葉も、普通に使われています。恋愛感情なしに、Sexだけをする人間関係は、現在、社会のそこら中に存在している筈です。セフレのいない男たちは、お金を払って、風俗に行きます。彼等は、恋愛感情も、愛も求めてません。ただ、性欲を処理したいだけです。

 女性だって、性欲が強く、それを気持ち良く処理したい人は、いる筈です。中国の歴史で云うと、始皇帝の母親がそういう人でした。もともと、呂不韋の愛人だったんですが、それを始皇帝の父親の子楚に譲って、始皇帝(政)が生まれます。ですから、始皇帝には、秦の王室の血は流れてません。商人と歌姫との子供です。子楚が死んだあと、呂不韋とよりが戻ります。呂不韋は、身の危険を察知して、始皇帝の母に、局部の大きい男を、あてがいます。始皇帝の母親は、淫乱の限りを尽くします。始皇帝が、親政を始めて、呂不韋も、母親の愛人も死に追いやられますが、さすがに実の母親は殺せません。どんなに淫乱の明け暮れても、実の母親を殺すことは、子としてしのびなかったと云うことだろうと、想像できます。始皇帝にとって、実の母親が最大の弱点だったんです。さすがに、「キングダム」には、そんなどろどろの世界は、描いてないと思いますが(キングダムは、実写映画を見ただけで、マンガは読んでません)。

「自分のお母さんのような人を好きになる」と、まあこれは、教師になって、何度も男の子たちから聞かされた定番のセリフです。実際に、自分の母親と同じぐらいの年齢の女性と、付き合っているDK(男子高校生)もいました。母親のことが大嫌いで、生涯、母親とは折り合いが悪かった私には、「母親のような人を好きになる」と云うことは、正直、信じられませんでした。が、現実に、そういう男の子は、枚挙に暇がないほど、沢山います。客観的に見て、非常に多くの男子たちがマザコンで、お母さんのような人を、好きになるのは、動かせない真実のようです。

「お母さんの彼氏の年齢が、自分とあまり変わらない」と、ギャルに教えられたことがあります。今でも、ギャルが存在するのかどうか知りませんが(多分、もういないと思います)20年くらい前には、中堅高校に、ギャルは、各学年に何人かいました。いわゆる渋谷系ギャルで、パー券などを売っていました。当時、私は、文化祭でパラパライベントを実施し、ギャルと多少、付き合いがありました。その後、ギャルじゃなく、普通のJKの場合でも、お母さんの彼氏の年齢が、二十歳くらいと云った話を、たまに聞くようになりました。年配の女性と、若い男の子との交際の数は、普通に想像する以上に多いだろうと思われます。年配の女性と、若い男の子の交際の目的は、Sex以外に考えられません。若い男の子は、多少、お小遣いを貰ったりするのかもしれませんが、主目的はやはりSexです。信じがたいことですが、フロイト的な真実を、彼等は検証していると言えます。年配の女性の方は、性欲を満たすためと云うより、寂しさをまぎらわすために、若い男の子を抱くんじゃないかと推定しています。私の教え子の中にも、若い男の子と付き合っている年配の女性は、いるのかもしれません。が、さすがにこういう話は、持ち込んで来ません。学校の教師に、告白できる話と、or notな話があります。これは、or notの方です。若い男の子の方からは、話を聞いたことがあります。不倫でなければ、別段、反対したりはしません(不倫だったら、徹底的に反対します。相手の家庭の子供を苦しめる権利は、誰にもない筈です)。愛のない交際も、恋愛も、結婚も、すべて、お互いの自由意志の問題です。

 ミランダは、スキッパーを、全然、まともに相手にしてませんでしたが、最後は、結局、Sexをしてしまった様子です。成り行きってやつです。男女ともに、余程の倫理観が確立してない限り、成り行きでSexできてしまいます。Sexなんて、生物の本能みたいなものですから、これはやむえません。ミランダは、映画「甘い毒」のように、女が男をフェンスに押しつけて、やりまくると云うactivityを、一度、試してみたかったんです。ミランダが、スキッパーを、壁にドンと押しつけて、キスしまくるsceneでドラマは終わっていますが、まあ、それで終わる筈はないです。スキッパーは、ミランダに、スキッピーとかと名前を間違えられても、へらへらしていました。取り敢えず、今日は、どんなことがあってもSexしたいと、その一念を最後まで貫いて、目的を果たしたと言えます。二人とも、愛も恋愛感情もないSexを実践したわけです。二人の報告を後で聞いたキャリーは、リアルな実験結果に基づいて、臨場感のあるエッセー(エッセーで綴るには、ちょっともったいないようなネタですが)を、コラムで発表することができる訳です。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?