自#131|ボキャブラリー(自由note)
先日のEduAには、「語彙力で勝負する」と云うタイトルがついていました。語彙とは、すなはちVocabularyです。英語を理解するためには、Vocabularyの増強は、必須です。つまり、Vocabulary Buildingが、常に求められています。先日、Tくんと云う教え子が
「英語の論文が読めません。すべてグーグル翻訳で、日本語に翻訳して読んでいます。自分の英語の語彙力は、せいぜい800語くらいです」と、本音を手紙で書いていたので
「英語のVocabularyが、800語では、さすがにまずいだろう」と、苦言を呈しました。日本語を、より深く理解するために、英語を学ぶと云った側面もあります。私は、洋画を結構、観ます。日本語字幕を目で追っていますが、英語がほんのカタコトであっても、フレーズではなく、単語単体や固有名詞とかでも、耳で聞いて解れば、そのsceneに対する理解と愛着は、一気に深まります。英単語も含めて、語彙を増やす努力は、いくつになってもすべきです。でないと、すでに身につけた筈の知識や教養であっても、土台から少しずつ、崩れて行ってしまいます。
EduAには、「これは外せない中高生の必須語彙」が、いくつか掲載されていました。小説系ですと、まず「事あれかし」。言葉を調べるための座右の書は、やはり広辞苑です。私が使っている広辞苑は、第四版です(最新は第七版だと思いますが、最新は使ってないので推測です)。第四版は、1991年に発刊されています。つまり、30年ほど前です。流行語は、次々に生まれますが、それは、すぐに淘汰されます。さすがに、もう「ちょべりば」とかと云ったフレーズを、使っているJKはいない筈です。今でも、漱石や鴎外の小説は、普通に読めます。いったん定着した言葉は、そう簡単には変わりません。
「事あれかし」は、『何か事件が起これの意で、好奇心などから事を期待するさま』と、説明してあります。新明解国語辞典には『何か変わった事が、起こればおもしろいのにと、異変を待ち望む様子』と書いてあります。意味は、結局、同じようなことですが、ニュアンスは明らかに違います。面倒ですが、たまにでもいいので、辞書を複数、使ってみると、vocavularyの奥行きは、より広がります。
「同病相憐れむ」。これは、中国の故事から来た言葉です。時代で言うと、例の「臥薪嘗胆」(がしんしょうたん)の頃です。呉王夫差(ごおうふさ)が、寝床で休まず薪(たきぎ)の上で寝て、自分の志を励まし、越王勾践(えつおうこうせん)が、苦い胆(きも)を嘗(な)めて復讐の時を待ったと云う、人口に膾炙(かいしゃ)したエピソードが解ってないと、この時代(春秋の五覇時代)の細部に立ち入ることができません。呉の宰相は伍子胥(ごししょ)。父と兄を殺されて楚から亡命して来ています。そこにやはり、肉親を殺された伯嚭(はくひ)が楚から逃げて来ます。呉子胥は、伯嚭を大夫に任用します。同僚に「何故、そこまで信用するのか?」と聞かれて、呉子胥は「同病相憐れみ、同病相救(たす)ける」と答えます。自分と同じような境遇だから、情けをかけて、親切にすると云う意味です。楚も含めた、呉越楚の確執と云った歴史的背景を知らないと、この語の本当のニュアンスは、解りません。
「おくびにもださない」。これは、本をきちんと読む中高生じゃないと、理解できません。中3の時、小説を読んでいて、このフレーズが出て来ました。「What's Okubi?」って、思いました。その頃は広辞苑の第一版を使っていました。すぐさま「おくび」を引いてみました。漢字だと噯。胃にたまったガスの口腔外に出るもの。げっぷ」と書いてありました。ふーんって感じでした。
「鼻白む」。これは、難しいです。古典語です。気後れがするさまのことです。源氏物語の中にも、この言葉は出て来ます。原子物語の舞台装置、situationの中で、この言葉に出会うと、ニュアンスが解ります。が、中高生が、源氏物語を手軽に読む筈はないですし、正直、文脈の中で、理解する以外にアクセスする方法はないと言えます。もし「鼻白む」の言葉を単体で出して、その意味を書けと云った問題を出して来たら、それは、とんでもない悪問だし、答えられなくても、no problemです。
以上が小説系で、評論系の用語として、「国民国家」「世界システム論」「ネオリベラリズム」「公共圏」「オリエンタリズム」などの言葉が、列挙されています。高3の受験生に、こういった評論系の用語の理解を求めるのは、納得できます。が、中3にこれを求めるのは、時期尚早(じきしょうそう)だと思います。モノゴトを学ぶためには、やはり最適の旬(しゅん)の時期があります。高校に進学し、公民なり現代社会なりで、社会の仕組みの大枠を学習したあと、こういった評論系の語彙の理解に進むべきです。
今は、電子辞書の時代かもしれませんが、私は紙ベースの辞書をお勧めします。電子辞書の画面は、やはりflowで、微妙に揺れ動いています。揺れ動かない、静止した紙ベースの文字の方が、落ち着いて深く考えられます。
河合塾の先生が「類語辞典の大活用」をアッピールしています。普通に読書をしたり、現代国語の入試問題を解いたりしている時には、類語辞典は不要です。類語辞典が威力を発揮するのは、自分自身が文章を書き綴っている時です。たとえば、1200字とか1600字くらいの、そう長くない一塊(ひとかたまり)の文章を書く時は、なるべく同じ用語は、使わないように努力すべきです。日本語には、tense(時制)の概念がないので、最後は、「です」「でした」と、現在形、過去形を自由に使い分けることも可です。使いたくない言葉しか、脳裏に浮かばないこともあります。私の場合、「素敵」と云った歯の浮くような言葉は、正直、使いたくないです。もっとも、話言葉で使うのは、問題なしです。話言葉ですと、素敵だと全然、心の中では思ってないのに、素敵ですねと、あっけらかんと言い放つことが可能です。書き言葉の場合は、類語辞典を引いて、「至高」とか「圧巻」「傑作」「秀逸」と云った別の言葉を模索します。類語辞典も含めて(無論、英和辞典も)辞書を引くことによって、語彙力は、step by stepで、少しずつ身について行きます。
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