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自#163|ウジャンジャの知恵(自由note)

 文化人類学者の小川さやかさんのインタビュー記事を読みました。新聞や雑誌のインタビュー記事は、普通に理解できることを、手際良くまとめて書いてあります。私は、そのインタビュー記事を読んで、自分の切り口で再構成して、意見、感想などを付け加えながら、ノートを書いています。書くことによって、そのインタビュー記事の内容は、より一層、深く理解できるようになります。インタビュー記事の内容を、授業の「まくら」でネタとして使うとすると、いったん自分の頭の中で、再構築して、紙ベースで書いておかないと、ネタとして使えません。自分自身の言葉を使って、文章にすることによって、ネタの理解のレベルを上昇させます。9割は、だいたい超えます。10割には達しません。完璧には理解できないし、その必要もありません。理解が、9割を超えたら、あとはノリと勢いで、「全部解ってるんだぜーっ」と云うフリをして、喋っている相手に刷り込みます。モラルに反することは、原則、伝えません。が、現実には、モラルに反しているリアルな実例も沢山あります。

 小川さんのインタビュー記事は、モラルに反している事例が、小川さんが喋らない部分に、きっと沢山あって、それが話の全体をファジーにし、曖昧にし、良く解らないものにしていると感じました。正直、2割くらいしか、インタビュー記事の内容は、理解してません。それでは書けないし、喋れないので、そういうネタは、普通はボツです。が、小川さんの話には、ボツにはできない、力強さ、逞しさが潜んでいます。中国史によく出て来る塩の闇商人のような、ずる賢さとしたたかさも感じます。「うーん、これは一体、何なんだろう?」と、興味を持ちました。

 白いブラウスを着て、長い花柄のギャザースカートを穿いた小川さんが、上京区の商店街で、同行している大学院の研究生と談笑しているスナップが、掲載されています。女子大のおっとりした優しい先生と云う印象を受けます。が、今年の河合隼雄学芸賞と大宅壮一ノンフィクション賞を、ダブル受賞した「チョンキンマンションのボスは知っている」は、香港の魔窟と呼ばれる雑居ビルに乗り込んで行って取材し、雑居ビルを拠点にうごめく中古品輸出ビジネスを内側から活写したレポートです。雑居ビルで仕事をしているのは、はるかアフリカから一攫千金を夢見てやって来た、タンザニア人たちです。小川さんは、大学院の2年生の時から、タンザニアに乗り込んで、調査を開始しています。小川さんが、タンザニア&タンザニア人の調査を始めて、かれこれ20年近く経過しています。まだ42歳で、お若いんですが、タンザニア研究の先陣を切った、第一人者だろうと推定できます。

 アフリカの職人の徒弟制度を研究すると云う渡航計画書を、指導教官に提出して、2001年、タンザニアの第二の都市、ヴィクトリア湖の傍のムワンザに乗り込みます。が、現地入りをして、路上商人のビジネスを研究しようと、テーマを変更します。人生、何が起こるか解りません。未来が、確実にこうなるなどと言うことは、本当は、誰にも予測しえないことなんです。

 現地入りして、路上商人に声をかけられます。何の後ろ盾もない貧しい若者たちが、その日暮らしのカツカツの商売をして、生き抜いています。小川さんは、彼等が街を行き交う人々を、実によく観察していることに感心します。だまし、だまされの奥には、スワヒリ語で、ずる賢いと云う意味の「ウジャンジャ」と云う知恵があります。ウジャンジャの知恵を会得したいと考え、商売の列に加わり、炎天下(ムワンザは、ほぼ赤道直下です)古着を売って、商才を発揮します(確かに小川さんは、親切で良心的な土産物屋のおばちゃんタイプの方です)。やがて、大勢の小売商と取引する立場になり、一躍、街の有名人になります。が、そこは山あり谷ありで、信頼していた仲間に次々に逃げられたこともあります。紹介してもらった若者は、ウソつきのお調子者。こちらの脇が甘いと、金品をかすめ取ります。が、こっちが落ち込んでいると、おとなしくしています。
「駆け引きなんですね。だんだん、気持ち良くなって来て、あっ、ずる賢いやつ、楽だな」と、小川さんは当時のことを語っています。そのずる賢い若者は、ある日、突然
「お前は、もう大丈夫」と言い残して、去って行ったそうです。金品を、小川さんが困らない程度にかすめ取り、代償として、「ウジャンジャ」の知恵を、小川さんにプレゼントしてくれたと云う風なことなのかもしれません。

 ムワンザの路上商人は、先の見えないその日暮らし(Living for today)をしています。が、その日暮らしだからこそ、混沌の中から、逞しく、自らの身の丈に合った秩序を見い出して行こうとします。彼等は、人間の芯の強さを見せてくれます。約3年半に渡った、ムワンザの調査で、苦さも喜びも体験します。「世界は広い。信頼や倫理の基準も、さまざまなんだ」と、痛感したそうです。

 路上商人は、コピーやまがいもの、バッタ商品を販売したりします。それがダメだと言うのは、ゆたかな進んだ国の倫理なのかもしれません。本物のルイヴュトンのバッグは、高価で買えないので、バッタもんの何ちゃってルイヴュトンを買って満足する。購入する消費者が、それでOKなら、問題ないと、バッタものを扱っている路上商人たちは考えています。ドラックは、NGだとしても、ブランドのバッタ物は、セーフだとフレキシブルに考えて行かないと、Living for todayできません。

「商売にはクールな見極めが肝心です。人とのつながりも、親友ではないけど、ビシネスライクでもない、仲間と云う関係。依存し合うのでも、突き放すのでもない、あんばい。真面目すぎても、ちゃらんぽらんでもダメ。そういうバランスを彼等から学びました」と小川さんは仰っています。こういうバランス感覚は、おそらく、今やカオスがあちこちに広がっている(特にネット上)学校現場でも、必要だと云う気がします。

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