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自#051|パラダイムシフト(自由note)

 5月29日の朝、今、勤めている板橋区のK高校の昇降口に、長机を出して、体温計を並べました。体温計は、10個以上、用意していましたが、自宅で体温を計って来てない生徒は、一人だけでした。ほとんど何もすることがなくて、登校して来た新1年生の顔を見ていました。入学式も、登校日もなくて、さぞかし不安だっただろうと云う先入観を、勝手に抱いていたんですが、新入生の表情からは、そういう不安のちっちゃなカケラすら、感じ取れませんでした。4月8、9日くらいに入学式で登校するとなると、それなりに過度に緊張してたりもするんでしょうが、そういう無駄な緊張感は、この長いコロナ休暇の間に、削ぎ落とされていました。新1年生は、別段、不安感などは持ってません。まあ、どうにかなって行くんじゃないかなと、多分、simpleに考えています。

 不安だったのは、我々、教員の方です。入学式もなくて、1学期のイベントは全部、中止。三密を避けるために、いろいろと制約される教科活動や、生徒の学校での過ごし方。令和2年度の年間行事計画が、すかすかになって、何をどうすればいいのか、皆目、先が見えてない。先生方には、今までやって来たことが、完膚なきまでに刷り込まれています。これまでやって来たことを、ほぼ墨守して、それに多少、アレンジを加えて、自分たちの学年らしさを加味する、その長年、培って来たノウハウが、取り敢えず、今、チャラになっているんです。

 コンサルティング会社が、仕事のキャンセルが相次ぎ、業績が悪化し、このままだと、廃業だと、悲痛な叫びを上げてたりするそうです。コンサル会社なんだから、日頃からクライアントに「未曽有の危機に備えよ」などと、口を酸っぱくして言ってた筈です。未曽有の危機に全然、備えてなかったコンサル会社が、どっさりだったつてことです。

 学校業界は、このところ「答えのない問題に取り組む。自分で問題を作り出す」が、鰯の頭のような、金科玉条的なお題目でした。今、luckyなことに、コロナ禍で、学校業界に、答えのない問題が、襲いかかって来たわけです。各学校がそれぞれ、創意工夫をして、先生方が知恵を出して、生徒の様子を見て、自分たちの力量も勘案し、オリジナリティを発揮して、creativeな仕事をする絶妙のchanceだと思います。が、今のとこ、どこの学校さんも、右へ倣えで、動いているって感じがします。

 学校がオンライン授業をやってくれないから、PTAの役員が、オンラインで、算数を教えている公立小学校とかもあります。もし、私が新1年の担任でしたら、生徒に電話をかけまくります。一人、1時間喋ると、休憩時間もなくなりますし、一人50分くらいにしておきます。タニタのクッキングタイマーは必須です。電話口に出てくれないことも、考えられますから、予め、電話をかける時刻は、クラッシーで予告しておきます。毎週、1回、50分間喋るとすると、2ヶ月で、8、9回喋れます。時間にすると、400分とかそこら。400分以上も喋って、私が知り抜いていると思い込んでいる生徒に、実際に会ってみたら「あれっ?」。もう想像するだけでも楽しそうです。当然、生徒の方も「・・・・」だと思いますが。

 生徒一人あたり400分も喋ったら、あとになってコロナ世代を、懐かしく思い出せます。学校のプチレジェンドにだってなります。ポイントは、同じ話を絶対にしないこと。ですから、メモを取りながら、喋ります。そのメモは、その日の内に、整理しておきます。私は、パソコンのキーボードは、ひらがな変換ですと打てます。データーは、パソコンで管理します。クラス替えになったら、次の担任にデーターを引き継げます。

 以前の学校の同僚だったYさんが、学級通信を送ってくれました。新1年生のための学級通信です。「ネットの関係性は再構築されるのが『#春から○○』の実態です」と書いてあります。確かに、実際にリアルで会ってみないと、解りません。

 コロナ禍のお陰で、長い休みがあって、生徒たちは、別段、いきってないなと云う印象を受けました。新1年生だから、いきっとなんぼだと思っていましたが、そういう決まり切った思考の枠組みは、old teacherの脳裏から消去すべきかもしれません(これをパラダイムシフトと言います)。

 以前、勤めていたJ高校では、バンドの部活の顧問でした。4年前だったと思いますが、入学前に、めっちゃいきっているグループがありました。「#春からJ高校 アコギ M」って感じです。Mのとこには、イタリア産のチーズの名前が入ります。入学試験が終わるや否や、バンドを組んだそうです。もう合格を確信しているんです。で、スタジオにもガンガン入って、3月の学校登校日までには、すでに、めっちゃbigに成り上がっていて、J高のアコギを背負って立つバンドだと、現役の部員たちの間でも、評判になっていました。
「そんなすごいバンドだったら、もう高校の部活とかには来ないで、クワトロで、ワンマンとかやればいいんじゃん」と、誰かが言ったとか、言わなかったとか。

 Mのバンドメンバーは、4人。みんながみんな、いきってたわけでもないんです。でも、少なくとも二人は、めっちゃいきりでした。この超ド級いきりバンドは、文化祭の前には、実質、ぽしゃっていました。4年前のいきり時代が、今とても、ノスタルジックに思い起こされてるんだろうと想像しています。いきる時は、やっぱ、いきっとけって感じです。

 1年生のstartの学級通信を読んで、クーリオの「C U When U Get There」と云う90'sの西海岸のヒップホップが、頭の中で流れました。C=See、U=Youです。ですから、See You When You Get There.です。オマエが、そこに辿り着いたら、会って喋ろうと云うメッセージです。

 中学生から、高校生になって、一気に視野も活動範囲も広がります。私も、中学時代は、地元を背負っていましたが、国立高専に進学し、寮に入ったら、一気に地元が消滅しました。60キロくらいの負荷のかかるリュックを背負っていて、それが、いきなり消え去った感じです。自分のことを知っている人間は、誰もいなくて、何もかもオールクリアーされて、ゼロからstartできました。地元がなくなったからこそ、親友のHとの出会いがあったと思っています。地元を背負っていたら、警戒して、近づいてくれなかったと推測しています。

 クーリオの場合、地元は、ロサンゼルスのサウスセントラル地区のコンプトンですから、ヤバさのスケールが違います。
 I ain't trying to preach. I believe I can reach.
説教する気はない。が、いつか届くと信じてる。
 But your mind ain't prepared. I'll C U when U get there
が、まだ、心の準備ができてないな。いつか、会って、話そう。
We got one voice to give and one life to live
伝えるべき声は持ってる。人生は、一回きりなんだ。
 Stand up for something or lay down in the game.
立ち上がって、前に進め。それとも、ゲームを続ける気か?
(ゲームと云うのは、麻薬の売人とか強盗とかそういう犯罪のことです)
 Or You and homies might be lined in chalk.
それを続けてたら、いつか死体になって、チョークで囲まれちまうぜ
 まあ、90'sのヒップホップですから、西海岸であっても、メッセージは、過激です。が、時には、こういう重たいスローバラードも、高校生には必要だろうと、私は思っています。


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