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自#158|自分に何ができるのかを、真剣に悩むようになるのが、男の場合、20代の半ばくらい(自由note)

 奈良県で縫製業を営むベンチャー企業「合同会社ヴァレイ」CEOの谷英希さんのインタビュー記事を読みました。谷さんの母親は、婦人服の小さな会社を経営し、毎日、ミシンを踏んでいます。谷さんの家は、母方の曾祖父の代から、縫製業に関わって来ました。が、谷さん自身は、ストレートに迷いなく、縫製業の世界に入って来たわけではありません。そこは、やはり紆余曲折がありました。

 谷さんの母親は、シングルマザーで谷さんと、谷さんの三歳上の姉を育てます。叔母の家庭もシングルマザーで、谷さんが小3の時、二世帯で同居することになりました。つまり、母親が二人、兄弟姉妹が四人の家族です。母達は、毎日、夜遅くまで働き、帰りが23時を過ぎることも珍しくなかったそうです。
「ご飯だけは愛情の基本だと思っていたので、食堂にあるようなガラス戸の冷蔵庫を買って、それに四人分のおかずを作って入れてました。帰って来て、無くなってたら、ちゃんと食べたんやと、ひと目でわかるから」と、お母さんは当時のことを述懐しています。

 母親たちが、長時間、働き続けても家計は苦しかったそうです。谷さんは、子ども心に「この業界は儲からへんのやな」と刷り込まれます。母親が息子に望んだのは、地元の奈良工業高等専門学校に進学し、大企業のエンジニアになることでした。谷さんは、母親の期待通り、奈良県内の国公立のトップレベルだった奈良高専に合格します。が、入学後、谷さんは「自分は、間違った学校に入ってしまった」と後悔します。「僕はもともと、文章の読み書きが好きな文系の人間であることに、改めて気づいたんです。高専の工学の勉強には、まるで関心が持てなかった」と、語っています。

 私も中学を卒業して、高知国立高専に進学して、まったく同じことを思いました。化学科でした。化学の世界に身を沈めながら、宮沢賢治のような文章を書いてみたいと云う欲望もありましたが、そこまでの才能はないと云うことに、15、6歳でしたら、すぐに気がつきます。結局、私は高1の夏休みに退学することを決めて、周囲を説得するのに1ヶ月間の期間を要して、10月1日に退学届を提出しました。

 谷さんはある時、通学電車が、学校の最寄り駅に到着して、ドアが開いたのに、席を立たなかったそうです。やがてドアは閉まり、電車は走り出します。「今、思い返せば、あの電車のドアが閉まるのを待っていた10秒間が、自分の人生の転機でした」と、谷さんは語っています。見知らぬ駅で、電車を降り、街をふらふら歩いていると、広場でダンスを踊る若者の姿が、視界に飛び込んで来ます。「めっちゃ、カッコいい。自分もダンサーになりたい」と感じたそうです。自分でも独学で、ダンスの練習を始め、生来の運動神経の良さから、どんどん上達します。で、3年生の10月に母親には黙って、高専に退学届を出します。
「大阪の芸能専門学校に通いながら、通信で高卒の資格を取る。死ぬまでに、一度でも、あの時、芸能界に挑戦すれば良かったと思う人生を送りたくない」と、母親に伝えると、多分、諦めたんだと思いますが、母親は認めてくれたそうです。

 谷さんは、ダンスを踊りながら、タレントを養成するコースに進み、演技を学ぶ中で、脚本や演出にも関心を抱き、19歳の時、40分間の自主映画を、仲間と制作します。「物事を形にして、完成させる力が、自分にはあると感じたのが自信になりました」と、谷さんは、当時のことを振り返っています。その後、専門学校の講師だったフリーのディレクターに誘われて、ADの仕事をします。22歳まで、テレビの裏方の仕事を続けて、英語力をつけるために、ワーキングホリディでオーストラリアに行きます。まず、大阪の外人が集まるバーで会話力を磨き、オーストラリアに渡って、2ヶ月間、現地の語学学校で英語を集中的に学び、ワイン工場やホテルなどで働いたそうです。が、海外で暮らす内に、結局、自分は何がしたいのか、解らなくなります。自分に何ができるのか、何がしたいのかを、真剣に悩むようになるのが、男の場合、多くは20代の半ばくらいの頃です。1年間、オーストラリアで過ごして帰国し、家業である縫製業の仕事をしてみようと考えます。母親には「衰退産業やからやめとき」と言われ、高卒後、縫製の専門学校に進学して、スキルを身につけ、母親の会社を手伝っていた姉には「この業界は、素人ができるほど甘くないで」と叱られます。谷さんが調べてみると、アパレルの国内市場は9兆円。が、国内での自給率は2.3%です。縫製の仕事が、海外に外注されてしまっているんです。全国には、縫製のスキルを持っている方が、今でも沢山いる筈です。

 谷さんは、全国の職人さんを、ネットワークする「マイホームアトリエ」と云うサイトを立ち上げます。廃業が進む縫製工場で働けなくなった人や、子育てや介護で仕事を離れた多くの女性の職人さんに、仕事を発注して、自宅で縫製してもらう、そういう会社を起業します。価格、発注方法、納期などを、ネットで明示します。新進デザイナーと組んで、自社ブランドも立ち上げます。全国には、縫製のできる職人さんが沢山います。中国やベトナムの工場ではなく、日本の職人さんに、手仕事で服を作ってもらいたいと考えているユーザーも沢山います。谷さんの会社は、すきま産業として、見事に軌道に乗り、通産省キモ入りの「はばたく中小企業・小規模事業者300社」にも選ばれます。これが、縁で、4月7日の緊急事態宣言後、国から医療用ガウンの発注を受けます。

 医療用ガウンの発注をうけたのは、ヴァレイ以外は、ANA、日産、ユニチャームと云ったアパレル以外の大手企業だったようです。つまり、日本のアパレルの大手は、国内で縫製することが、おそらく、もうできなくなってしまっていると推定できます。
「医療用ガウンのような生きるために必須のものが、必要な時に手に入らない。それって、本当に先進国なのか?」と、谷さんは思ったそうです。

 谷さんは、子どもたちにミシンを教える「ヴァレイソーイングパーク事業」を開始します。日本の縫製業を次世代につなぐことが、目的です。「アパレル産業の枠を超えて、作ることの面白さと価値を、次世代の子供たちに伝えて行きたい」と、谷さんは抱負を語っています。

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