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自#139|サンセットパーク6(自由note)

 前回、ウィスコンシン州出身のスカンジナビアン系の女性をエレンと書きましたが、アリスの間違いです。訂正しておきます。アリスは、ウィスコンシン州にいる両親からも、経済的な援助を受けることはできません。両親だって、福祉手当に頼って、新聞のクーポンを切り抜いて、年中、特売品を探し、バーゲンや、ちょっとしたやり繰りなどをして、日々の出費を数セントでも抑えるために、精一杯、手を尽くして暮らしているんです。

 アリスは、廃屋ではおそらく、影に包まれて、窓から光が漏れぬようカーテンを締め切って、いつもビクビク怯(おび)えながら、こそこそ生きて行くことになると、覚悟していました。が、違っていました。ビングは言います。
「(おどおど、びくびく)ふるまっていたら、不法居住者だと云う事実を近所に宣言するようなものだ。真っ昼間に、しっかり顔をあげて行動し、この家の正当な所有者だと言うふりをしないといけない」と。また、近所の人には
「この家、市当局から二束三文で買ったんです。ええ、ショッキングなくらい安い値段で。安い値段でも、売れば、市としても、取り壊す費用が節約できますから」と説明しています。つまり人を騙(だま)すためには、堂々とした態度で、きっぱりと嘘をつかなければいけないと云うことです。

 エレンの妹に双子の子供が産まれ、ジェイクの兄夫婦も子宝に恵まれます。そこら中で、女たちは、ふうふうハアハアやって、赤ん坊を生み出して、人類を持続させる役を果たしています。遠からぬ未来に、アリスも自分の子宮を試して、それなりの貢献ができないか、やってみたいと思っています。当然、パートナーが、必要です。ボーイフレンドのジェイク・ボームがパートナーだろうとずっと思っていたんですが、最近、どうも違っているんじゃないかと、疑問を持ち始めました。自分と彼との間で、何かが崩れかけて来ています。日々の小さな腐食が彼等の拠って立つ地面を、じわじわ損(そこ)なって来ています。

 ジェイクは、勤めているコミュニティカレッジの学生や教師仲間の悪口を、飽きることなく、延々と喋り続けます。
「あの学校は、たわごと学校、ケツ拭き学校(自分がケツを拭いてやらなきゃいけないと云う意味だと推測できます)、高等精神遅滞学校だ」と、罵倒(ばとう)します。アリスは、そういう悪口、罵倒を聞くことを好みません。ジェイクが教えている学生の大半は、貧しい労働者階級の移民であり、働きながら学校に通って来ています。それは、生易しいことではありません。教育を求める貧しい若者を罵倒する権利が、ジェイクにあるとも思えません。ジェイクは小説を書いています。作品の掲載を断られる度に、編集者に対する罵詈雑言(ばりぞうごん)、批判、恨み言が、堰(せき)を切ったようにジェイクの口からあふれ出て来ます。自分は、天才なのに、それを見抜けない世間は、アホで間抜けだと云うのが、ジェイクの理屈です。

 二人の性生活も冷め始めています。これに関して、アリスは自分に非があると考えています。つまり、アリスは、ジェイクと出会った頃より、太ってしまったんです。出会った頃は、身長178センチ、体重71キロ。現在の体重は77キロ。この6キロの差は大きいとアリスは考えています。がっしりした逞(たくま)しい体型から、でっぷりとしたデブ型に変貌してしまったと思っています。体型に自信が持てなくなると、メンタルは弱くなります。自己嫌悪は、しちゃいけないとアリスは理解しています。自分を哀れんで、泣いたりするのはもっての他です。自分を哀れむのは、弱虫と低脳だけだと、アリスは自分に言い聞かせます。「愛は体だけの問題じゃない」と、この問題を、自己の関心から切り離します。アリスの現在の最大の関心、課題、使命は、博士論文を完成させることです。

 論文の考察対象は第二次世界大戦後のアメリカです。1945年から1947年にかけて発表された書物や映画に描かれた男女の関係と葛藤の分析がテーマです。扱う作品は、大衆的な犯罪小説と、売れ筋のハリウッド映画が中心です。大学院の友人は、たとえば「ポープとバイロンの押韻形式の比較」とか「メルヴィルの南北戦争詩におけるメタファーの解析」とかに取り組んだりしています。アリスが、このテーマを選んだのは、彼女の祖父母や
大おじ、大おばたちが、戦争を経験して、戦争を生き抜き、戦争によって、取り返しようもなく変えられたと感じているからです。「男女間のふるまいの伝統的な諸ルールが、戦場でも銃後でも破壊され、ひとたび戦争が終わると、アメリカ人の生活は、また一から再創造されねばならなかった」と、これが論文の骨子です。

 アリスから見て、もっとも象徴的に感じられる時代の精神を、一番明確に力強く表している数点のテキストと映画を使って、これを論じます。もうすでに、ヘンリーミラーの「冷房装置の悪夢」とミッキースピレーン「裁くのは俺だ」の暴力的な女性嫌悪、ジャックターナーのフィルムノワール「過去を逃れて」に現れた女性の処女-娼婦分裂を、それぞれ論じた章を書き終えています。当時のベストセラーであった反フェミニズム論「現在の女性-失われた女性」の入念な分析も済んでいます。現在、ウィリアムワイラーの1946年の映画「我等の生涯の最良の年」を扱う章に着手したところです。この映画こそが、この論文の中心となる作品ですし、この時期におけるアメリカ史を巡る国民的な物語だと、アリスは考えています。戦争によって、損なわれた三人の男(フレッド・デリー大尉、アル・スティーヴンスン軍曹、ホーマー水兵)と、家族の許(もと)へ戻った時に彼等が直面するさまざまな困難を巡る物語です。この映画は、アカデミー賞作品賞、監督賞、主演男優賞、編集賞、作曲賞、脚色賞、を獲得し、アメリカはもちろん、日本でも大ヒットした著名な作品です。

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