ヒロシマ女子高生任侠史・こくどうっ!(4)

「なにを眠たいこと言うとんじゃこんボケがァ! 寝言じゃったら寝かしつけたるけえ寝てから言わんかい!」

 渡世の親からの鋭いビンタが、宇品の頬を襲った。文句は口にも顔にも出さない。当然予見していたことだった。
 赤茶の明るい髪をツインテールにまとめた宇品より小柄なこくどう──元町天神会直系紙屋組組長、紙屋みのり。天神会一の武闘派である。

「そのへんにしたれや、紙屋の姉妹(しめぇ)よ。宇品は会長の言いつけどおり手え出さんかったんじゃけ、悪うないじゃろうが」

 腰まで届く長い黒髪にてぐしを入れながら、紙屋の姉妹分──小網さんごが言った。天神会現体制下における二大勢力であり、会長に絶対の忠誠を誓う二本柱の片割れである。

「子分のしつけは親の仕事じゃ。姉妹でも口出し無用で」

 みのりはそう言うと、直立不動の宇品をそのままに、自分は生徒会用応接ソファにどっかと座った。
 元町女学院内元町天神会の本部は、生徒会室である。これは、元町天神会が生徒会の名を借りて、学校を実効支配していることを意味する。
 宇品は紙屋会の一年生筆頭若衆であり、期待をかけられている。本気になれば、紙屋のオフクロは子分だろうが半殺しにするだろう。叱責で済んでいるのはそういう事情だった。

「で、じゃ。日輪のガキィ、まだ祇園会じゃなんじゃ言うとんか」

「はい。年少で話聞いとらんのかもしれんです」

「ほうか」

 祇園会前会長、安佐めるが襲撃(カチコミ)されて命を落とし、それに対し跡目が指名されなかったことから、こくどう協会は祇園会を解散したとみなした。
 今では、祇園高校には生え抜きのこくどうがいない。日輪は抜け殻の母校に帰ることになる。彼女に恨みをもつ紙屋にとっては愉快な事実だった。

「宇品よ。ほいじゃ、ワレが日輪にただただイモ引いたんは、飲んじゃるけえ。じゃがの、二度は無いで。会長の許可が出たら、日輪のガキは真っ先に弾かないけん。ワレ、天神会の一番槍くらいとってみんかいや」

 宇品はバツ悪そうに頷いた。無理もない。紙屋はとにかく激情型だ。姉妹分でも目に余る。
 しかし、紙屋がこういう性格だからこそ、姉妹分である小網が生きてくるし──なにより、会長はそうした紙屋の苛烈さを気に入っているようだった。

「お邪魔だったかしら」

 涼やかな声であった。紙屋が、小網が、そして宇品がその場に直立不動する。声の主──白島莉乃が、扉のそばに立っていた。
 選択式の制服の一つである吊りスカートを履き、白いブラウスに緑のリボンタイ。流れるような金髪。顔にはレース付きの黒布で左目を覆っている。
 しかしその顔は穏やかである。落ち着き払った──それでいて優雅さすら感じる佇まいだ。

「まあ、もう座っていいのよ。何のお話をしていたの?」

 白島は全員を尻目に奥の上座席に座った。誰も口を開かない。それは自主的な沈黙であった。動物園のライオンの檻の中に入ってしまった人が、大声で叫ぶだろうか。白島会長の前での私語は、それくらいに危険なことだった。
 口火を切ったのは、紙屋であった。

「わしとこの舎弟頭──この宇品ちゅうんが、偶然日輪に出くわしたんで、クンロク入れちゃろう思うたらしいんですわ」

 あえて嘘は言わなかった。白島の不興を買えばそれまでだからだ。紙屋は姉妹分である小網と共に、彼女の出方をよく理解していた。

「それで?」

 笑顔さえ見せながら、白島は愛用の茶器を取り出し、梅昆布茶の粉末を入れてポットでお湯を入れた。
 お湯の落ちる音がいやに長く感じた。

「日輪のボケ、宇品に頭突きをカマしおって……ほいじゃが会長、こんなあも会長の命令はきっちり守って手は出さんかったんよ。わしがキチッと言って聞かしましたけ」

 ずず、と梅昆布茶をすすり、一息ついてから、白島はそう、とだけ呟き──宇品に向かって言った。

「大変だったわね、宇品さん」

 宇品はといえば、会長に恐縮しきりで体を固くしているばかりだ。
 白島には三つの伝説がある。祇園会との抗争の折、敵対するこくどうに左目を奪われたにも関わらず、その日のうちに返しに赴き、祇園会会長を単身弾いた──。
 それが一つめの伝説だ。そしてもう一つの伝説。目から銃弾が貫通したことによって、彼女の脳は傷ついてしまった。当時の白島は一般的なこくどうと同じく苛烈で口が悪かったが、今では性格が百八十度違ってしまっている。そこまでのダメージを受けながら、死ななかった。
 白島の不死伝説は、こくどうとしての地位を不動のものとした。故に、天神会はその伝説に敬意を払い、畏怖を共有する形で一枚岩に固まっている。白島さえ望むならば、長期政権すら可能だろう。
 彼女はそれほどの神性(カリスマ)を持つに至ったのだ。

「貴女も、親の顔だけは潰すようなことをしてはダメよ」

「は、はい」

「私や天神会の顔を潰さないでね」

「会長、自分はそがあなこと……」

「私はあなたに言い訳は許可してないわね?」

 喉にドスが突きつけられたように、鋭い言葉だった。宇品は黙って頷いた。殺される。

「みのりちゃんが言って聞かせたことを蒸し返すつもりはないのよ?」

 白島は笑顔のまま、ずずとまた梅昆布茶を啜った。

「クンロク、大いに結構よ。ただそれをその場でやり返されたら貴女のメンツが立たない」

「はい」

「日輪さんの事は、いずれ始末をつけるわ。貴女はそのときに存分に働いてもらう。それでいいわね」

 宇品は何度も首を縦に振った。会長の器はデカい。紙屋が顎をしゃくって退室を命じ、彼女は脱出を果たした。
 生徒会室の扉が閉められたと同時に、白島は梅昆布茶を飲み終え──一際大きな音を立てて茶碗を置いた。その底には、鬼の顔が描かれていた。

「みのりよ」

 空気が変わった。

「会長……」

「あんまりの、日輪のバカタレにデカい顔さすなや」

 白島のこめかみに血管が浮いているのを、小網は見た。白島の最後の伝説──それは、彼女の性格はさらに苛烈になっているというものだった。
 組織は恐怖のみでは回らない。だがこくどうの世界では、恐怖が組織の原動力だ。白島はこのあまりにも大きい裏表を使い分けることで、容易に掴みきれぬ器を手にしたのだ。

「宇品のバカタレには、年少(オツトメ)覚悟で日輪弾かせますけえ……」

 白島は応接テーブルを蹴った。茶碗がガタガタと音を立て、二人のこくどうの身を震わせた。

「ワレ、いつの間に天神会のアタマになったんじゃ? それを決めるのはワシじゃろうが。誰が弾け言うたんなら。言うてみい」

「まあまあ会長。紙屋の姉妹も天神会の事を思うて言うとるだけですけえ。姉妹が言いたいんは、行けえ言われたらすぐ出られるいうことですわ」

「小網の……ほいじゃ祇園高校の差配はお前とこの子分じゃったの」

 祇園高校は現在、表向きにはこくどうがいないこととなっている。だが実情は、小網組の盃(ジドリ)を受けた二人の祇園高校の生徒と、元祇園会相談役が、最低限の渉外役として機能している。
 つまり祇園高校は天神会の事実上のシマでもあるのだ。

「日輪のことを見張れ言うことですか」

「それもあるがの。うちの相談役通して、いっぺんうちに挨拶させろや」

「そりゃ会長の仰ることなら。ほいじゃが、日輪のガキが応じるんかわからんですで」

「祇園会のシマを返す、言うたら違うじゃろ。飛びつくわ」

 シマを返す?
 紙屋と小網は顔を見合わせた。負け犬になったこくどうに餌をやるなど、この世界では考えられなかった。下手したら天神会の格が落ちる。

「バカタレが。組が無いノラのこくどうに、天神会がカチコミかけられるかいや。年少(オツトメ)覚悟で日輪を喧嘩(ゴロ)まくのも気に食わん。協会にナシつけて、正式な試合(カチコミ)ならサツも文句言わん」

「会長がなさった時みたいに、事後承諾を協会に認めさせるんはどがあです?」

「ありゃ裏技じゃけえ何回も使えんわ。協会(おや)の通りも悪いけえの。とにかく、後の段取りはワシが考えとるけえ、まずは日輪のガキに挨拶させえや。わかったの」

 白島はそれだけ言うと立ち上がり、先程まで宇品に見せていたような穏やかな笑顔を見せると言った。

「まかせたわね。二人とも」

続く

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