何度でも書く。
同じことを書く。
同じことを書いていても、1年前の自分と今の自分では、考え方感じ方が違うから、まったく違ったエッセイになる。
同じようなことを書いても、別人が書いたような文章になる。
なぜ書くのか。
なぜ飽きないのか。
一度書くことを知った人間は、ずっと書く。
書く意味が無くても書く。
書けば何かが始まる。
心の整理ができたり、自分が知らなかった自分を知れたり、ストレスを解消できたり、書いた人は何かを得ている。
だから飽きない。
好きだから飽きない。
むしろ書かないとやってられない。
例えが変だが、タバコを吸ったことのない人は「吸いたい」と思わないし、体に悪いから吸いたくないと思っている。
でも一度吸ってしまうと、やめられない。
吸わないとやってられない。
書くことも、そんな状態に似ている気がする。
でも、書けない時もある。
それはもしかして、毎日が充実しているからかもしれない。
心の葛藤や悩みが無いから、文字にしようと思わないのかもしれない。
逆に辛すぎて書けない時もあるだろう。
書く元気が無い時もあるだろう。
それなら書けることは幸せだ。
悩みを文章にできるのは、幸せなことなのかもしれない。
誰にも読まれなくても、自分で書いて自分で読む。
そこで何か答えを見つけたり、気付きがあったり、得ることがあったのなら、書くことはとても有意義で幸せなことであり、だからこそ書く意味がある。
書くことに終わりはない。
毎日何かを体験して、何かを考えて、何かを感じるのなら、ずっと書き続けるだろう。
noteをやめてしまったあの人も、いつかまた書きたくなる。
書いてくれるに違いない。
ここだけの話ですが、現在タイムマシンを作っているので、その資金に使わせて頂きますね。サポートして頂けたら過去のあなたに大事な何かをお伝えしてくることをお約束します。私はとりあえず私が14歳の時の「ママチャリで崖から田んぼにダイブして顔面めり込み事件」を阻止したいと思います。