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移住者(地域の部外者)だった僕が獅子舞を踊ってから、人々の見る目が変わり始めた|先輩移住者file.2

先輩移住者ドキュメントfile.2 中山工房

高山村にあるレザークラフト工房「中山工房」
  • 生まれ:1972年群馬県高崎市

  • 移住タイプ:Iターン

  • 以前の住まい:群馬県中之条町

  • 移住時期:2011年(現在12年目)

  • 家族構成:5人(11歳14歳16歳の子ども、妻)

  • 仕事:自営業(レザークラフト工房を営む傍ら、単発で林業の仕事も請け負っている)

登山やスキー、クライミングなどの山を舞台にしたアウトドアが趣味の中山さん。谷川連邦や尾瀬、草津など各地の現場へのアクセスの良く豊かな自然がある高山村に移住しました。最初は地域に溶け込めずに孤立を感じていたそうですが、ある出来事がきっかけで変わっていったようです。現在はレザークラフト工房を立ち上げ皮製品の製造販売を行う傍ら、子ども達に森で遊ぶ体験を提供するボランティア活動にも力をいれています。移住してから12年を振り返りながら、今、中山さんが抱いている子ども達への想いを聞きました。

北に谷川、東に上州武尊や尾瀬、西に草津。森で遊ぶには最高の立地。

 以前の職場は森林組合で森林整備に携わっていました。職場への通勤の関係で中之条町に住んでいた時に、マイホームを建てようと決意して場所を探し始めました。もともと山を舞台にしたアウトドアが趣味。夏は登山、釣り、ロッククライミングを楽しみ、冬はバックカントリースキーやスノボに明け暮れる生活。山へのアクセスを考えた時、豊かな自然もある高山村はベストな条件でした。北に行けば谷川連峰があり、東には上州武尊山や尾瀬片品、西には草津もある。朝起きた時の気分やその時の天候によって遊び場を選べるというのは最高の条件です。しかも、少し南に下ると渋川や前橋などの便利な街にも出られる。
 2010年に土地を購入して、ログハウスの建築をスタート。2011年3月に妻と、当時3歳だった長男、2歳の次男と家族4人で移住しました。(後に長女が誕生)

20歳からスノーボードを始めた中山さん。谷川岳をホームにして、海外ではアラスカに2週間滞在しながらバックカントリーに明け暮れた経験も。


集落全体がみんな親族のような関係の中で、最初は孤立していた

 自分が家を建てた集落の人達は、家系を何世代も辿ってみるとみんな同じ本家をルーツとしているそうなんです。本家が一つあって、その分家が集まってできた集落なんですね。つまり、集落の人たちはみんな広い意味での親戚のような関係。そこに僕のような縁もゆかりもない人物が移住してきたものだから、最初は地域の人達も不安だったと思います。正体不明の一家が突然家を建てて隣に住み始めたら、それは警戒しますよね。その気持ちも分かります。もちろん、僕自身も不安でした。お互い当たり障りのない挨拶をしながら、手探りな感じで地域付き合いがはじまりました。そのため、公民館で開かれる総会や役員会などの寄合では、いつも孤立していたように感じます。当時、寄合の後は必ず飲み会がありました。僕も当然参加するわけですが、気軽に話ができる人がいなくてポツンとしていました。

きっかけは地域の伝統文化「獅子舞」を踊ったこと

 状況が好転したきっかけは、獅子舞を踊ったことだと思います。この集落には「役原獅子(やくばらじし)」という伝統文化が代々伝わっています。踊り手は決まって「中学生の男子」というルールがあるのですが、少子化のため踊り手が不足して、「中学生の女子」「小学生」「経験のある高校生」にまで条件が緩和されていったそうです。そうやって地域の人達が大切に伝承してきた文化なのです。ある年、それでも踊り手が集まらず、その年のイベント自体の存続が危ぶまれました。そこで当時、組頭(集落の班長のような存在)だった自分に声がかかりました。「一番若手の中山が踊るのはどうだ?」と。はじめは抵抗しましたが、みんなに説得されて踊ろうという気持ちになったものの、一筋縄ではいかなかったです。練習も大変だし、自分は本来踊り手になるべく地元の生まれでもない。しかも広い意味でみんな親戚関係にある集落の中で、ある意味部外者のような存在である移住者が踊るということで、一悶着がなかったわけではありません。踊り手を引き受けたものの自分自身でも悩んでしまい、いつも良くしている地域の人に相談に行きました。その方から「一度引き受けたなら最後までやりきった方がよいよ」とアドバイスを頂き、練習を続け当日を迎えました。

 結果、近年にはないくらいの見学者が集まり、獅子舞は大きく盛り上がりました。移住者であり、大人である自分が踊り手になったという事も、集客に少なからず貢献できたのかなと思います。イベントは真夏に開催されるので、猛暑の中、獅子をかぶって踊るのは結構大変なんです。中学生でも熱中症で倒れてしまう子が出る事もあり、40歳を過ぎてる自分にとっては死に物狂いの踊りでした。汗だくになりながら獅子舞を踊りきったあと、たくさんの人達からねぎらいの言葉をかけてもらいました。そこからです。みんなの自分を見る目が少し変わったと感じ始めたのは。これまで僕に対して抱いていた「どんな人なのか分からない」という不安が払拭されて、「集落の伝統を汗まみれになりながらつないだ人」という印象に変わったのかもしれません。それ以降、徐々に地域に馴染めるようになった気がします。寄合後の飲み会でも声をかけてくれる人が増えて、「もっと飲みな」と歓迎してくれてるように感じ、僕の気持ちもだいぶ楽になりましたね。

自宅横に工房をDIY。レザークラフト工房を起業。

 仕事面では、2020年にレザークラフト工房「中山工房」を立ち上げました。小さい時からものづくりが好きで、革細工やプラモデル、大工の真似事が趣味でした。例えば子どもの頃は目覚まし時計の仕組みに興味があって、パーツを全部解体して遊んでました。当然組み立て直すことはできませんでしたが(笑)過去に鍛冶屋(鉄骨業)の仕事をしていたこともあり、工房は兄の協力を得ながらセルフビルドしました。設計図を書いて、土台を作って、鉄骨で骨組みをつくって……3ヶ月くらい、総予算100万円程度で完成しました。

工房内の様子


工房に足を運んでいただき、フルオーダーでお客さまのイメージを一緒に形にする他、オンラインショップで革製品の販売もしています。人気なのは、キャンプ関連のグッズでしょうか。ナイフカバーやランタンのホヤカバー、ガスカートリッジのカバーなど、お客さまの要望に合わせて、大抵の物は作っています。

ランタンのホヤ(ガラス)を守るためのカバー

子ども達にも「森で遊ぶ」体験を伝えていきたい

 去年(2022年)、高山村の有志が集まり「森iku」というボランティアグループを発足しました。コンセプトは「オトナもコドモも 森とともに いきるチカラを取り戻す」。子ども達に自分達の生まれ育った高山村のいいところを再発見してもらいたい。そして、生きる力を身につけてほしい。そういう願いから、自然の中で遊ぶイベントを主催しています。

高山村のお寺で写経体験

高山村の草木染め作家さんを招き、高山村の植物を使っての草木染め体験

高山村の道の駅で開催したクラフトマーケット「ちょっ蔵市」に森ikuとして参加

 今企画しているのは今年の11月に開催する「森の運動会(仮)」です。300人を収容できる高山村のキャンプ場を貸し切って、森の中の各エリアにあるクエストにチャレンジしていくイメージ。楽しみながら「登る、感じる、作る、食べる」などのサバイバススキルを磨けます。僕の子ども時代は、TVゲームもなく外で遊ぶのが当たり前でした。石を投げて遊んだり、空き地に段ボールで基地を作ったり、そういう身近にあるもので工夫しながら遊ぶのが楽しかったし、自分自身の成長につながっていると実感しています。今は、例えば木登りをしたり石を投げて遊んでも「危ないから止めなさい」と大人に止められたり……。時代が違うのでしかたがない部分があるけど、子どもから遊ぶ機会が奪われてしまっていると感じます。せっかくこんなに豊かな自然を抱える高山村に暮らしいてるのだから、もっと山で遊んで、その「遊び」の中で生きる力を身につけて欲しいと願っています。

>群馬県高山村 中山工房
〒377-0701 群馬県吾妻郡高山村尻高3131-5
070-8378-1282
nakayama.kobo@gmai.com

>森ikuのinstagram

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移住の相談、お問い合わせは高山村の移住・定住HPへどうぞ。


●先輩移住者ドキュメントの連載について
移住にあたって一番知りたい、でもどんなに検索しても出てこない情報。それは、その地域の「住みにくさ」や「閉鎖的な文化の有無」、そして「どんな苦労が待っているか」などのいわゆるネガティブな情報です。本連載では、敢えてその部分にも切り込みます。一人の移住者がどんな苦労を乗り越えて、今、どんな景色を見ているのか。そして、現状にどんな課題を感じているのか……。実際に移住を果たした先輩のリアルな経験に学びながら、ここ群馬県高山村の未来を考えていきます。



インタビュー/執筆 山中麻葉

2021年に夫と0歳の娘と高山村に移住。里山に暮らしながら、家族でアパレルのオンラインショップ「Down to Earth 」を営む。山中ファミリーの移住の様子は「移住STORY」へ。日々の暮らしやお仕事のことはinstagramへ。






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