死んでしまいたい

死んでしまいたいと常々考えている。しかしそのような考えが自分の甘えに由来するものだとも自覚している。私は救いがたいガラクタだ。油をさすほどの価値もない。この言葉の羅列は俗に、自虐オナニーという。

こうしてインターネットに希死念慮を吐露した所で誰も私を救えない。自分の弱さ、そして弱さをスマートに隠すほどの知性を持ち合わせない愚かさは私以外の誰のものでもない。それでも私は自分を救う術を模索しようとしていない。自堕落故に今の環境を変えようとするほどの思い切りも先見も持たず、それでいて責任転嫁能力だけはいっちょ前で、それが頑張らない理由になっている。こんな人間どうしようもない、世のため人のため、死んでしまえ。消えちまえ。死んじまえ。

経験がない方は一度試してみるといい。仮に私ほどに堕落した精神を持ち合わせた人間がいるならば、紙に書かれた自分宛の「死ね」という言葉に脳髄が引っ張られる感覚がするはずだ。しかしこの感覚にどこか愛らしさを覚えたら私と同志だ。もし、これが人間本来の姿だとしたら共感を求めるまでもないのだが。

先の記述に「自虐オナニー」という言葉を用いた。これは自虐という言わば自傷の一環に、自慰にも似た快楽の悦を感じるためだ。世に溢れる風俗用語にはS,Mの2パターンが見受けられるが、これはどちらかといえばMだろう。特に生産性がないと自覚していながら、自分の体に唾を吐き、同時に分泌される快楽物質を麻薬に見立てて遊ぶ狂気なのだから。

私には何もない。「生きていてほしい」などと言われる資格もない。大人しく死んでしまえばいいのに、つまらない希望や些細な恐怖、周囲に迷惑をかける事への申し訳なさが私をギリギリ生の淵にとどめているのだ。何もないくせに。早く死んでしまえばいいのに。価値がないのだから、はやく、死んでしまえ。こうして文章を書いている間にも死んでしまえばいいのに。しかし誰も私を救えないように、事件や事故でない限り誰も私を殺せない。妙なところだけしぶといものだから、今も生きながらえている。

こんな生き物をメンヘラと呼ぶのか。我が事ながら、嘲笑と悲哀の情が止まらない。最高だ。嗚呼、最高じゃないか。人生ってやつは。これが私の人生なのだ。ずるずる気持ちの悪い生き方を続けて、誰にも同情もされず、自分も誰にも同情をせず、こうして生産性のないゴミを増殖させる。人間としてのお役目意識から離れ、命の価値とやらを仄聞し、玩世の極みに孤独を隠す。なんと贅沢で罪深い生き物だろう。死んでしまうには勿体なさそうだ。それでも私は死んでしまいたい。

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