2.5次元で演技を好きになったオタク

今の私は俳優オタクだ。それも2.5次元の。もともと刀剣乱舞が好きで、過去一で好きになったキャラクターができたから、そのキャラクターをもっと知りたいと思って、ミュージカルを観始めたのがキッカケだった。

2次元は何かと奇抜だ。だから正直、3次元に落とし込むのは無理だと決めつけていて、期待は非常に薄かった。しかし実際自分の目で観てみると、それが独断と偏見とにまみれたものであることを思い知った。確かに2次元は何かと奇抜だが、それが舞台上だと不思議とまとまっているのである。違和感があまりないのだ。現実ではあり得ないような衣装や口調の彼らだが、威風堂々とした佇まいが成せる技か、見ているこちらが恥ずかしくなるような事もなかった。

私は脚本の考察が好きだ。刀剣乱舞は設定上、歴史ものを扱う事がメインだ。だから伏線や暗喩を読み解くためには史実や伝説の知識が多少必要になるが、SNSにはその道を専門とされる方が山ほどいらっしゃったため、自分一人ではカバーしきれない楽しみも存分に味わうことができたのもよかった。

そしてミュージカルと名が付く以上、物語の進行と同時に歌や踊りは必須となってくる。私は芸能の審美眼を持っていないため正確な判断はできないが、彼らが並々ならぬ鍛錬と技とを以て舞台に臨んだという事は感じ取れた。それぞれの歌声に場面に応じた感情が乗せられ、緊張に包まれた幽玄で始まる舞は、一挙手一投足が観客の視線を釘付けにした。万人からかけられし緊張や恐れは、役者によって仮面を被せられ、極限まで偶像に磨きあがられた生身が、粛々と存在を主張していた。

舞台上で照らされる彼らは、さながら差し込む光明に身を焦がす的皪の花だった。私はミュージカルを観ていたはずが、いつの間にかミュージカルに魅せられていたのだ。興奮冷めやらぬ状態がしばらく続き、私は狂ったように劇中歌を聴くようになった。

ふと、彼らの美しさの正体が知りたくなった。見目の麗しさや舞台上の演出だけではない。観客やスタッフからの期待に応える度量や肝の太さ、そして役者としての美学があったからこそ、私はあの舞台に夢中になれたのだろうと思った。だけどそれらの正体は私の脳内にインプットされていなかった。だから私は彼らと似た気持ちを味わいたかった。※念のため補足しておくが、繋がりだのは嫌いである。

しかし当方は演劇未経験者である。そこで手軽にワークショップから始めてみることにした。事前に台本が渡され、当日にランダムで当てられた役柄を演じ、講師に指導していただくという流れだった。

年齢のためだろう、私が当てられた役は、浅慮で不真面目で礼儀知らずな、ギャルだった。しかしそういう子は私自身決して嫌いなタイプではなかったので、自分が思うままに、素人なりにやりたいようにやらせていただいた。だから先生の方も碌に見なかったし、失礼を働く相手には台本にない舌打ちまでした。短い間だったが、終わってから、ちょっとやりすぎたなぁ申し訳ないなぁと反省した。

しかし先生は嬉しそうだった。その後、正反対のキャラクター、つまり根暗でおどおどしていて、如何にも教室の隅で本を読んでそうな子を演じてほしいと言ってくださった。文化的な活動で大人に褒められることなど十年来だったため、私自身嬉しくて、それも不器用なりにやってみた。

ワークショップが終わってから、先生は「演じるのが楽しいんだね。今後も演劇は続けてほしい」とうれしい事を言ってくださった。それからだ、地元の劇団を調べるようになったのは。

私は何か突出した才能を持っているわけではない。それでも、今持っているものが誰かに認められるのはうれしかった。まぁ、本格的にやろうと思ったら、こんな薄っぺらい意志はすぐに忘れてしまうだろうが、地道に素人としてやる分にはまぁまぁの土台になるはずだ。今までは考えたこともなかった演劇という芸能だが、2.5次元のおかげで挑戦できた新しい事として、忘れることのできない思い出になった。ありがとうという言葉はシンプル過ぎるだろうか。しかし感謝の気持ちは言葉または出費に置換する他なく、上限のない媒介として私は今、言葉を採用したい。ありがとう。

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