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6年という時間が僕に教えてくれたこと

僕は6年前、自分の夢を1度は叶えた。

いや、正確にはそうではない。
自分の夢を叶えるための第1歩を踏み出すことが出来た、という表現の方が適切だ。

しかし、僕はその夢を放り投げた。
それは自ら捨てたのではなく、人生で初めて『挫折』を経験した結果だっつた。

今日は6年前のあの時を、思い返してみよう。


「これを仕事にしよう。」
直感的にそう思ったのは、23歳の時。
あるカウンセラー養成講座の体験授業を受けた時だった。

公務員という、世間では『安定』で知られる職業を自ら辞めて、さてこれからどうしようかと毎日考えていた頃。

ネットサーフィンしていて偶然見かけた、最初は単純な好奇心で参加したこの授業は、僕の人生の目標を決定づけた。

『どんな人にもその人だけの人生があって、それは素敵なものだ』

僕の勝手な解釈だが、この体験授業を担当してくれた講師から学んだ中でこの1点がとにかく強烈で、僕の記憶に鮮烈に焼き付いた。

カウンセラーとひとくちに言っても様々あるが、この時に僕が受けていたのはキャリアカウンセラーといって人間のキャリア(ここでは主に仕事や経験を指す)形成の専門家である。

即日その場で申し込みを行い、その1か月後には養成講座が始まった。


養成講座は、授業はもちろんのこと、ともに受講した方々も良い人ばかりだった。

当時23歳と社会人経験の少ない若造だった僕にも、対等に接してくれた。

僕はここで、よりいっそうこの夢を叶えたい、そして少しでも多くの人の力になりたいという気持ちを強くした。


養成講座が終わり、数か月後には資格試験があった。
学科・実技とあってとても緊張したし勉強は大変だったが、それも良い経験だったし苦ではなかった。

無事に合格できた時は、嬉しくてたまらなかった。
そしてここからが本番だ、と息巻いていた。

当時はまだフリーランスという言葉がそこまで認知されていなかったが、この頃からボンヤリとではあるが、いつかは独立してやりたいと考えていた。

養成講座を担当してくれた女性講師が独立して仕事をされていたのだが、その生き様だとか信念に深く感銘を受けたから、というのが理由だ。

とはいえこんな資格すら取りたての自分にはまだ到底無理だし、まずはそのための経験を積まなければと思い、決めた就職先はとある人材派遣会社の営業兼コーディネーター。企業に勤めるキャリアカウンセラーだ。

まずはここで頑張ろう。そしていつかあの女性講師のようになるのだ。
楽観的な性格では決してないが、それでも未来への希望は溢れていた。

しかし、そんな未来への希望は早々に闇に埋め尽くされた。


入社して最初にさせられた業務は、新規派遣先開拓のための営業電話。
1日何件したのかも今では覚えていないほど掛けた。
人生でここまで長く電話の受話器を握りしめていたことはない。

「声が小さいわ!そんなんでアポ取れると思うてんのか!!」
僕の電話を聞いていた社長から、ひっきりなしに怒号が飛んできた。

どれだけ声を大きくして話しても、ハキハキした口調で話してみても、怒号は続いた。

そしてそんな状況に対して、周囲は何も言わなかった。まるで何ら違和感のない日常として捉えているようだった。

ただ1人、先輩の女性社員が声を掛けてくれた。
「大丈夫?社長、機嫌で言うこと変わるし、あまり気にしないで。」
僕はあの人の機嫌で叱られているのか。そう思うとやるせなかった。

ちなみにこの社長は、仕事終わりから翌朝まで飲み明かし、自分の席で居眠りしていることがあった。

そして、神棚のお供え交換などは男性社員しかやってはいけないと強く言っていた。

「女は触ったらあかん。穢れてるんや、生理あるからな。」

こんなことを平気で言う人物だった。当然尊敬の念は抱けなかった。そしてこの時に思った。

勤め先を完全に誤った、と。


しかしこんなところで辞めるわけにはいかなかった。
まだ入ったばかりだし、ようやく夢に向かって歩み始めたのだから、これも修行みたいなものだ。

そう強引に考え、違和感と理不尽を飲み込んだ。

1日中の営業電話掛け業務は2週間で終わり、上司や先輩の営業回りや求職者面談などのOJTを経て、遂に1人立ちとなった。

そしてここからが葛藤の毎日の始まりだった。


僕が学んだキャリアカウンセリングは、あくまでクライエントのためのもの。

悩みや迷いを抱えているけれど、答えはそのクライエントの中にあり、僕達キャリアカウンセラーはそれをカウンセリングを通じて気付きを与える存在であり、主役はクライエントだと。そして僕も、まさにその通りだと思っていた。

だからこそ、辛かった。

誤解のないように言っておくが、仕事自体が、ではない。
クライエント(ここでは就業を希望している人達)のためのカウンセリングをすることができないことが、辛かった。

当然だが人材派遣会社である以上、就業してくれる人達によって会社は利益を得ている。

つまり、彼等が働いてくれなければ会社は利益を得ることができず、経営は成り立たない。彼等をいかに会社から派遣して働いてもらうかが必要となる。

つまりそれは、彼等を
『とにかくどこでもいいから派遣して、少しでも長く働いてもらう』
ように誘導することが求められるのだ。


分かっている。それが今の自分に与えられた役割だと。
分かっている。そうしなければ会社は食いっぱぐれてしまうことを。
分かっている。そもそも派遣会社とはそういうものだと。

分かっている。分かっている。分かっている。

それでも、僕は自分が何をしているのか、分からなくなった。


今でも忘れられないことがある。

就業していたスタッフの1人が、担当である僕に「辞めたい」と相談してきた男性がいた。

理由はここには書かないが、面談中に涙を流すほど真剣に話してくれた。
だいの大人である男性が泣くのだから、『大したこと』であるのは間違いない。それはきっと、僕を信頼して話してくれた証でもあった。

そんな彼に、僕はこう言葉を返した。

「もう少し、頑張ってみませんか?」

正直に白状する。
僕はこの時、彼のことを思って言葉を紡いでいなかった。
ここで彼が辞めて、売り上げが減ったら、またあの社長に怒鳴られ惨めな想いをすることになる。
決して杞憂ではないその未来が、僕の本来紡ぎたかった言葉を塞いでいた。

その時彼は、どう思ったのだろう。
涙を流しながら真剣に話してくれた彼は、僕の言葉の背景にあるものを、感じ取っただろうか。僕を軽蔑していただろうか。

しかし彼はその後、3か月も頑張ってくれた。
そして再度、もう本当に辞めたいと申し出てきた。

そんな彼に、僕はこう言葉を返した。

「ここまで頑張れたのだから、もう少し頑張ってみましょう。」

この時の彼の表情を、僕は覚えていない。
正確に言えば、覚えたくなかった。もっと正確に言えば、見たくもなかった。結局のところ、彼の表情を見ていなかった。

最低だった。
間違いなく最低だった。
そして僕はこの時気付いた。
今の僕はもうカウンセラーではないと。

その後僕はすぐ辞めてしまったので、彼がどうなったのかは分からない。

もし彼に今会ったら、僕は彼に謝りたい。深く謝罪したい。
謝って済むことではないけれど、謝らなければならない。
それが、僕がしなければいけない最低限のことだと思っている。

かくして僕は、夢の第1歩で挫折し、自らその道を閉ざした。

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その後僕は、色々なことをやってみた。
カウンセラーの夢は常に頭にありつつも、それ以外のことをひたすらやってみた。

正直に言えば、カウンセラーを仕事にするという夢は諦めていなかったけれど、こんな自分ではできないと自信がなかったんだと思う。

だから、それ以外で自分ができること・やりたいことを必死に探した。


でも6年経った今、こうして僕は再びこの夢のスタートラインに戻ってきた。

結局、そういうことだった。
僕はやっぱり、この夢が好きだった。
この夢を信じ続けていた。

カウンセラーに、カウンセリングに出会ったあの日から、僕の心は決まっていた。

6年と随分長い遠回りをした。
無駄な時間を過ごしたという人もいるかもしれない。

でもこの6年という期間は、僕に必要な時間だったんだと思う。

ここからはもう逃げない。今度はもう失敗しない。

いや、失敗してもいい。
そこからまた立ち上がれればそれでいい。
そして今の僕なら、それがきっとできると僕自身を信じている。

6年という時間は、僕に大切なことを教えてくれた。

夢はいつだって変わらずに、ただそこに在り続ける。



#私の仕事

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