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初めての慰問

「明日、慰問に行くんだけど、付いて来るかい?」
「いもん?」
 金曜日の夜。すでにパジャマに着替え歯みがきをしているところへお父さんが帰って来ました。

 寝る前にはっきりと返事をした覚えはなかったのだけど、翌朝起きたときにはお出かけ用の服が用意されていたので、ぼくは、よくわからないまま着替えを済ませ、お父さんとお出かけすることになりました。
 
 お父さんが運転する車の中で尋ねました。
「いもんってなに?」
「うん。慰問というのはね、元々お見舞いをして慰めるって意味なんだけど、これから行く施設ではお年寄りの方々といろんな話をして、お互い刺激しあうっていうか、まあ、そんな感じかな。」
「へぇ、そうなんだ。ぼくみたいな子供が行ってもいいの?」
「もちろんだよ。きっと皆さん、喜んでくれるよ。」
 お年寄りといっても、ぼくにはお盆やお正月におばあちゃんと会うくらいしか機会がないので、どんな所に行くのかちょっぴり不安でした。
30分ほど経ったところで車が止まりました。去年まで通っていた幼稚園に少し似ている建物でした。  
 玄関に入るとお父さんは受付で何やら親しげに施設の方と話し、ぼくを紹介しました。
ぼくは、恥ずかしくて黙っていましたが、施設の方から「皆さん、喜びますよ。ゆっくりしていってね。」と言われた時には「はい。」と答えました。でも、どうして喜ばれるのか分かりませんでした。
 それから、お父さんに連れられて壁の中央に大きなテレビが置かれたホールに着きました。車椅子に座ったおばあちゃんが2人。全部で5人のお年寄りが施設の方と話をされていました。
「こんにちは。」と少し大きな声でお父さんがお年寄りに向かって挨拶をしました。「今日は息子を連れてきました。」と続けて話しました。
 ぼくも挨拶をすると「かわいい坊ちゃんだね。」と皆さんから笑顔で迎えられました。それから立て続けに「名前は?」「幾つ?何歳?」「今日、学校は休み?」「身長は?」などと質問攻めにあいました。ぼくがひととおり答え終わると、今度はお年寄りの方々がそれぞれお孫さんの話を始めました。
「私の息子は結婚するのが遅かったから、孫はひとりしかいないのだけど、初孫ができたときは本当に嬉しかった。」
「うちは、あなたと同じくらいの孫が2人いて、ひとりはサッカーに夢中で、もうひとりは遠くにいて、なかなか会えないの。」
「うちの孫は4人。一番上の孫は去年結婚して来年には子供が生まれるらしい。初めてのひ孫ができるのが楽しみだけど、お迎えが来るのが先かもしれん。」
「一番元気な鈴木さんがなにをおっしゃてるんですか。健康面も全然問題ないし、やしゃごまでごらんになれますよ。」と施設の方が言うと、皆さんが声を出して笑いました。
 
 ふと気づくと、お父さんが少し離れたところで車椅子のおばあちゃんと話をしていました。
「そうそう。うちの家内もね、同じように野菜なら何でも冷蔵庫にしまうんですよ。」とお父さんは笑っていました。あからさまにお母さんの悪口を言っているようには見えなかったのだけど、何となく気になって近づくと、おばあちゃんもぼくに気づき「お父さんによく似ていらっしゃる。」と少し微笑んでから「何歳?」とか「兄弟は何人?」とか質問をされたので「7歳でひとりっ子です。」と答えました。
 おばあちゃんは「私も今はひとりになっちゃった。」と口にしたあと、しばらくの間を置いて、10年くらい前にご主人を亡くされたこと、元々6人いらしゃった兄弟も戦争や病気でお亡くなりになり、残ったのは自分だけだということを話されました。
 好きな食べ物を聞かれたので、ぼくが「カレーライス。」と答えると、嬉しそうに作り方を教えてくださいました。途中、お父さんが「玉ネギをきつね色になるまで炒める加減が難しいんですよね。」とか「かくし味には何を入れてましたか。」なんて言うものだから、おばあちゃんの話は結構長く続きました。
 おばあちゃんの話が終わるころ、施設の方が近寄ってきて「今日はお孫さんができたみたいで良かったね。元気になったね。」とおばあちゃんに話しかけると、おばあちゃんは「ありがとう、ありがとう。」とぼくの手を握ってこられました。おばあちゃんの手は、少しひんやりしていて、しわしわっとしていました。
「また、来てね。」と言われたので、「はい。」と答えました。
 すると、おばあちゃんは、とても嬉しそうにぼくにこう言いました。
「何歳?兄弟は何人?」
ぼくは、心の中で「えっ?さっき・・。」と言いそうになりました。
 間もなく施設の方が、ぼくとお父さんににっこり笑って、おばあちゃんの車椅子を反対方向に回して歩き始めました。
 お父さんは、おばあちゃんの後姿をしばらく見送った後、ぼくの目を見てゆっくり頷きました。

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