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写真に残すこと。記憶に留めること。

はじめに書いておきますね。
長文です。
ごめんなさい。
パートに分けて書くのも自分の中でしっくりこなかったので。

僕を構成する大切な要素「写真」

これまで、僕は何度かこのnoteに文章を書いてきました。
そもそも僕は言葉で表現することが苦手でした。というか、嫌でした。
それは、自分の言葉に自信が持てなかったし、そもそも言語化すること自体がすごく億劫で嫌だったから。
そして、自分の言葉で相手に価値観を押し付けたり、牙を向けるのが嫌だったから。

そんな中でも、ずっと大切にしてきた表現方法がありました。
「写真」です。

言葉で表現することが嫌いだった僕を、言葉以外の表現方法があるよって教えてくれた「写真」。一瞬のあたたかみ・煌めきみたいなものを一枚にぎゅっと閉じ込めることができる「写真」。

今日は僕を構成する大事な要素である写真について、少しお話しさせてください。

そういえば、島に来てからほとんどカメラを触らなくなってしまいました。
でも、大事な表現方法としてこの手段を手元に残しておきたい気持ちは変わりません。
自分が大事にしてきた表現方法だからこそ、その想いを自分に向けても文章で残しておきたいと思います。

下手だけど、これしかなかった。

最初に言っておきます。
僕自身、写真で記録を残すことは好きだし、どちらかというと得意な方ではありますが、あくまでも自分の中で文章で表現するよりは得意ってだけです。
趣味でカメラを使いこなして写真を撮っている人や、アマチュア・プロカメラマンなんてまず足元にも及びません。
LightroomやPhotoshopなども多少いじってはいますが、自信を持って使えているとは言い難いです(履歴書とかにかける”スキル”ではないっていうことです)。
ただ、そんな中でも写真を撮る中で大事にしていることはありました。
それは、冒頭でも少し触れた「あたたかみや煌めきをその一枚に残す」ということ。
そして、それを自分の価値観を押し通したりはせず、あくまで写真の捉え方や見え方は写真を見た人に委ねるということでした。

僕がカメラを手にし始めたのは大学1年生の頃。
友達も少なく、コミュニケーションを取る相手すら少なかった僕にとって唯一の表現方法だった気がします。

写真を撮ること自体は下手でしたが、それしか表現方法がありませんでした。
でも今ははっきりと言えます。写真を撮ることはずっと大好きだし、これからも大事にしていきたいです。

僕と写真。

僕が初めて、写真という表現方法を通じて心を揺さぶられたのは、東日本大震災の時でした。
発災当時は特に写真なんて興味すらありませんでしたが、発災から時が経つにつれて、新聞社などのメディアから震災の記録を写真集として出版したものが世に出されました。
中でもずっと鮮明に残っているのが、行方不明者が多数おり、街のどこに亡くなった方が埋まっている状態かわからないままの街を練り歩くお坊さんの写真でした。
一心不乱に亡くなった方を弔い続け、誰からお願いされているわけでもない「成仏」という一筋の願いをお経に込め続けるお坊さんに、小さい子供だった僕でも心が動かされたのは鮮明に覚えています。

僕が見ていた写真と少し異なりますが、参考程度のリンクを貼っておきます。

振り返ってみれば、ここで写真という記録方法を知った気がします。
でも、写真を撮るようになったのはもっとずっと先のおはなし。

P.S. そうそう。震災と僕の関係性については下記の記事にちょっと詳しく書いてます。
気になる方は読んでみていただけたら嬉しいです。


カメラで撮り続けた大学生活。

Western Australia/ The Pinnacles
大学2年生の頃(カメラ歴2年目くらい)

写真を撮り始めた当時は、ぶっちゃけ風景写真が多かったです。
友達がそもそも少なかったので、被写体となる人がいなかったんですよね。
始めた当初は、ソニーのカメラを使っていました。
カメラを初めて買う方にとっては割とベタな選択肢かもですが。
始めた当初も、色味は多少気にしていて、その場の雰囲気がちゃんと一枚に収まっててほしいな〜とは思ってましたね。

福島県金山町 只見線の陸橋(豪雨災害で橋が断絶されています)
でもそこにかかる霧はきれいでした。

大学3年生、初めて人を撮る。

プライバシー云々があるのでここに掲載できる写真はあまりありませんが、大学3年生の頃から、まちづくりやコミュニティデザインの文脈から場づくりなどに携わっていたこともあり、人の写真を撮りまくっていました。

某コミュニティスペースを作る際にリノベーションしていた時の風景
顔写ってない写真これくらいしかなかった。


なぜかカードゲームの制作過程でプロトタイプで遊んでる風景を撮ったり。
たのしかった〜

こうやって人を撮っていると、頑張っている姿とか、取り繕っていない眼差しとか、作り笑いしていない笑顔とかを撮りたくなるんですよね。
だから、僕がカメラマンとしてイベントとかに参加した時は必ずこう言いました。
「カメラ目線なんかせずに、そのままの素顔でいてください」
その方が、そのままの姿の方が、美しいし、輝いているとおもうんです。

なぜかカメラに拘り始めた。

上手くもないのに謎に信念を持ち続けてしまった僕でしたが、ついにカメラにまで拘りだします。
今僕が使っているカメラは、SIGMA fp Lというカメラです。
(写真を撮っている方からすれば、「あーあのレンズのメーカーね」って感じだと思います。)
このカメラの製造拠点は、福島県の会津若松市。
僕の出身地も福島県。
僕と同じ福島県出身のカメラなんです。
このカメラ、他の有名カメラメーカーとは違って癖強いカメラなんですが、僕にとってそれはどうでも良かったんですよね。

同じ福島県で作られたカメラで、同じ県で働く人が、こだわりを持ってつくりづけたカメラだったから愛着が湧いたんです。

ずっと使い続けたいと思えた一本の動画があるので、よければ。

きっとこれからも使い続けるでしょう。

さいごに

またとりとめもなくダラダラと書いてしまいましたが・・・
正直、僕は自分の写真が上手いとは思っていません。
でも、写真を撮ること・写真を通して伝えることは好きです。

どこかの誰かが言ってた言葉なんですが・・・
(誰が言ってたのか忘れました。すみません。)

スマホで撮った写真はカメラロールに入って撮り流されていくが、カメラで撮った写真は一枚一枚が振り返りたくなるものとして残りつづける。

どこかのだれか

すっごく大事な言葉だと思ってずっと信じ続けてきました。
言葉も、写真も、どちらも”記憶”に残せるもので、自分の振り返りにもつながるものですよね。
がんばって続けたいものです。

いつか上手くなるのかな〜📷

おわり


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