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074 頭上権
電車で一度、頭上の権利を主張されたことがある。
僕はその日、出張で東北へ向かうために大きなリュックを背負い電車に乗った。
朝の通勤ラッシュまでは1時間ほどの余裕があったのだが、車内の乗車率はそれなりに高く、背負ったリュックが誰かの邪魔になりそうだったので荷物棚へリュックを置いた。
そこで頭上の権利を主張されたのだ。
「おい、ここは俺が座ってるんだから、上に荷物を置くのは失礼だろう!」
突然のことにびっくりしながら、真下の座席を確認すると、まっすぐにこちらに視線を向ける初老の男性がいた。
いきなりの恫喝と相手の表情から、反論してもいい結果にはつながらないと悟った僕は、「横にずらしますね」とだけ伝え、すぐに荷物を動かした。
その後、男性から嫌味を言われるでもなく、気づいた時には男性は下車しており、何事もなかったようにその日は過ぎていった。
それでこの話は終わりである。
終わり、そう、終わったはずなのに、この事を心の中で蒸し返しては、どこか気詰まりな気持ちになる。
明らかに僕は悪くない。僕の友人知人の中には誰ひとりとして、シートに座る人の頭上が、座る人の権利だという彼の主張を支持する人はいないだろう。
そうとわかってはいるのに、荷物棚に置こうとする度に、いつも男性の主張が頭を過ぎる。
「上に荷物を置くのは失礼だろう!」」
なぜ僕は、あるはずもない頭上権を受け入れ、事なかれ主義を貫いたのか。そして、なぜ納得できるはずもない指摘を、いまだに引きずっているのか。
我ながらかなり屈折した感情だなぁとつくづく思う。
上空権ほど素っ頓狂ではないにせよ、僕自身も相手にマイルールを押し付けていることがある。
特に、相手より自分の方が知識や経験が上だと感じた時などは、強くその傾向が出る。
「どう考えてもこの方が合理的なのになんでやらないの?」や「普通ならこうしない?」と言った強者のそれであり、相手の置かれた立場や考え方を無視して、自分意見だけが正しいと考えた自分勝手な考えを押し付けてしまうのだ。
結果的に「高津さんと話すの怖い」と言われることもあるが、まさしく「自分が正しい」という気持ちが言動になり、狂気として相手に伝わっているのだろう。
相手からすると、頭上権を主張するおじさんと高津は、なんら変わりがないのかもしれない。
あぁやだやだ、絶対僕が正しいのに。
***
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-もの-
てぬぐい
(左から)
/BAKIBAKI
/ハンバート ハンバート
/郡上踊り
/白鳥おどり
/民謡クルセイダース
同棲をはじめて最初の喧嘩は「タオルのたたみ方」だと聞いたことがあるが、なるほどこれは正しい気がする。
なんせ、僕の持つマイルールの中でも、タオルと手ぬぐいのたたみ方には、異論を許さないほどのこだわりがあるのだ。
特に手ぬぐいに関しては、落語ではお馴染みの「まんだら」というたたみ方にこだわっている。
「まんだら」は、手ぬぐいの切れ端が中に折り込まれることで見た目に美しい上、iPhone pro MAXとほぼ同じ大きさになることから使い勝手がよく、これ以上ないたたみ方だと思っている。
だからこそ、適当に折りたたまれていると腹がたつ。
次に誰かと住む日がくれば、引っ越しよりも先に手ぬぐいのたたみ方講習をしてやるんだ。相手にこだわりがあったとしても「まんだら」を押し付けてやるんだ。
よし、これで喧嘩の種がなくなったぜ。
ねぇそこの女の子、一緒に住む?
もう少し、あと少し、マイルール押し付けちゃうけど。