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062 進化と進歩、あと退化。

今、AIという、一見無色透明な気体が、まるで空気のように地球に忍び寄り、気づいた時には抱き抱えるかのように、私たちをどこ知らない世界へ連れて行こうとしている。

ある人は、この数ヶ月で起きた世界の変化をコンビニに例えていた。

それは「商店街と地元の百貨店しかなかったまちに、突然コンビニができたような変化」なんだと。

それまで雑貨屋やタバコ屋、酒屋などで買っていたものは、すべてコンビニで揃い、美味しいコーヒーを出してくれていた喫茶店でさへも、コンビニコーヒーでいいやと言う、便利さの流れに飲み込まれている。

「贈り物は百貨店の包装紙でなくちゃ」と喜んでいた母でさへも、コンビニで買っただろうお土産を美味しそうに食べて、便利な世の中を堪能しているではないか。


僕たちは、便利さと豊かさが本質的に違うものであると、とっくの昔に気づきながらも、便利さの前に目を瞑りつづけている。


当たり前のように覚えていたはずの電話番号を忘れ、何気なく書いていた漢字は輪郭を残して抜け落ちていき、映画の中にある美しい間でさへも、無駄なものだと早送る日常が豊かさであるのだと言い聞かせるように。


この時代を、1000年後の人間たちは進化と見るのか、退化と見るのか。


先日、AIの開発速度に人間の倫理観が追いついていないと、ITの巨人たちが「6ヶ月の開発ストップ」を目指して書簡に署名をした。

しかし、その裏では「開発を続ける企業や国がある」とも囁かれ、お互いが疑心暗鬼にならざる得ない事態に陥っている。

人を信じれない状況は、時として最悪な事態を産む。

豊臣秀吉が養子である息子を、一族もろとも殺めたことも、戦時中、大日本婦人会の名の下に、家にある鉄鍋ばかりか子どもたちを戦地に送り出したお母さん達もまた、誰かに疎まれる恐怖があったのだろう。

人は幸福になりたいと願っていたのではないか。

有名なアランの幸福論では、その幸福を「健全な身体によって平然を得る」ことであると定義した。

そういう意味においては、必要な栄養素が詰まった完全食を食べ、足りない栄養素をサプリから補給する現代人の生活は、幸福と言えるものなのかもしれない。

その幸福に「美味しい食事」や「手を合わせる程の作り手への労り」が必要ないのであれば。


僕たちに、動き出した船をを止めることはできない。

だが、こと身近な生活に関しては、AIという無色透明な存在を無意識に吸い込み、当たり前の日常だと依存してしまう前に、その存在を意識しつづけることで、自らの心の動きをコントロールすることはできるのではないだろうか。

音楽配信サービスとレコードを聴き分けるように、タブレットと文庫本を持ち歩くように。



・・・ってあれ?

何を書いてんねんこれ。

いや、なんかこう、頭良さそうな文章書いてみたかってんな。

こんな文章も書けるんだぞって。
いや、無理や。

諦めて映像編集しよっと。

そういえば編集ソフトも、言葉で編集してくれるようにアップデートされたらしいわ。便利すぎて脳が退化しそうやけど、その分、寝て遊んで回復やな。

ほんまAIに感謝や。


***


-もの-


スイッチ さば電子

最先端のテクノロジーによって、オンオフを切り替えるだけで、脂肪と糖分、塩分を抑えられるスイッチ。

オフにした場合、味が薄く変化するのは課題だけど、これ一つで健康に近づくのであれば、ありなんじゃないかなと思う。

ええ、嘘です。
アート作品ですね。

気持ち的には糖分塩分どんとこい!

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