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今の楽しみ手を惹きつける「つくり手」の共通点

5月15・16日に開催された「OCHA NEW WAVE FES」は、お茶のつくり手・淹れ手・楽しみ手、そしてそれらのつなぎ手が、今の時代に揃ったことを確信させてくれる、とってもエキサイティングな2日間でした。

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このnoteでは、このイベント中で開催されたオンラインセッション、片平次郎さん(静岡)と冨澤堅仁さん(熊本)のトークをつうじて私の感じた、今の楽しみ手を惹きつける「つくり手」の共通点について書いてみたいと思います。

共通点①:「つくりたいお茶」が自分の中にはっきりとある

楽しみ手が魅力を感じる「つくり手」には、自分のつくりたいお茶がその人の中にはっきりとあるという共通点を感じます。
つくりたいお茶があって、お茶づくりのスタンスや作業の一つ一つに、そこから湧き出た様々なものが溶け込んでいるイメージです。

次郎さんのつくりたいお茶は、そのお茶の自然体の個性が輝くお茶。

僕の場合は茶樹と寄り添うというスタンスで、人間のこだわりを茶樹に押し付けないように心がけている。
最小限必要なことはするけど、茶樹の成長に寄り添う感じ。

新茶の時期の自身の立ち振る舞いにも、そのスタンスが溶け込んでいます。

新茶の時期は本当に一瞬で、毎日が特別な時間。
でも、僕の場合はなるべく自然体でいることを心掛けていて、その葉っぱを見ていると刈る(摘む)べきタイミングがわかるから、そこで刈って、そのお茶に合った蒸し方をしてあげる。
一年の集大成ではあるけど、自分自身も自然体でいるように心がけている。
楽しいシーズンで、終わる時にはああ、もう終わっちゃうんだなという感覚。

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一方、冨澤さんのつくりたいお茶は、修行をした福岡県八女の星野村で飲んだインパクトと美味しさが共存するかぶせ茶の味。
熊本の土地でこの面白さ・美味しさを表現したいという思いが、冨澤さんのお茶づくりに強く反映されています。

なぜかぶせのお茶をメインで作っているかというと、修行をした福岡・八女の星野村で飲んだかぶせが衝撃的で、これを熊本っぽい玉緑茶でやりたいと思ったのが最初です。
自分が修行から帰ってくるまで、うちの周りではかぶせ茶を一切やってなくて、かぶせ茶をはじめたら、周りの人に「また堅仁が変なことしよるわ。」とか言われました。
でも当時、僕がつくりたかった丸く甘いといった味わいのものは熊本に少なくて。それがつくりたかったんです。

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自身のつくりたいお茶がはっきりとある。それに加えて、現代の生活の中でどのような価値を持つか、楽しみ手がどう受け取るか、一方通行の思いの押し付けとならないよう、時代と会話しながらお茶づくりをしているのが印象的でした。

逆に今のお茶に対して感度の高い人は、かぶせの味わいより露地栽培の方に嗜好の流れが変わっている予兆感じています。僕も露地は露地で好きです。
一方で、今まだお茶を意識したことがない人への入り口、気づきというかわかりやすさの点では、僕がつくるようなお茶も一つあって良いと思っています。

どれが正しいお茶かということではなく、自分のつくりたいお茶はこれだという思いを聞いた時、楽しみ手の心は動くなと。もちろん、まだはっきり見えていなくても、それを見つけようと試行錯誤しているつくり手の姿も、楽しみ手としてはなんだかグッときます。


共通点②:厳しい環境の中でも地に足つけて前へ

お茶の楽しみ手はどうしてもお茶の明るいところだけを見てしまいがちですが、茶業の現場には、現実として大変な作業や厳しい現実があります。
一方、楽しみ手を惹きつける「つくり手」は、現実の中で、しっかりと地に足をつけて目の前の課題に取り組みながらも、目線は高く・遠くの未来を見ています

次郎さん達が運営する『茶農家集団ぐりむ』は、高齢化に伴い地域の茶農家さんが管理できなくなった茶畑を借り、これまで乗用型の機械(茶畑の管理や摘採を行う車型の機械。これがあることで、これまで複数人が必要だった作業が一人でできる)が入れなかった場所を造成し、茶の木を植え、5年後に生産効率の高い茶畑に変えていくといった取り組みを進めています。茶農家がちゃんと稼ぎながらも、荒廃茶園を少しでも食い止める試みです。

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一方、その明るい部分だけでなく、厳しい現実も隠さずシェアしてくれます。

今年はお茶を揉む量を減らしたんです。
昨年まではできるところまでつくっていたけど、求められてないものをつくっても値段がつかなくて、これは本当に意味があることなのかと再考して。
理想は荒廃茶園を止めたいけど、自分たちだけで頑張ってもしょうがないので、
今年はある程度(借りていた)面積を返しました。

それでも、地域のお茶の未来を考えて、時間と労力をかけて茶畑を今にあった形へ変えていく。その取り組みの歩みは止めません。

生産性の面に加えて、品質の面でも可搬(型の機械。2人で機械を手で持って作業する機械)でやる価値はないなと思ってます。可搬型は茶の木を仕立てる人の機械を操作する精度に品質が大きく左右される。
乗用型は作業が楽ということもあるが、仕立ての精度が全然違って安定する。価値のあるものを作るなら、手摘みか、乗用の2択だと思って取り組んでいる。

お二人の話は手摘み茶の話へ。
両地域とも摘み手さんの不足により、手摘み茶をつくり続けることが難しくなっている現状を共有した上で、ボランティアとして都市部のお茶ファンが手摘みにかけつけたら役に立つのかという話題に。

もちろん力になります。僕は手摘みはメンタルだけだと思っている。笑
単純な作業をどれだけ丁寧に繰り返せるか。
慣れてしまったお姉様方より、初めて手伝いにきてくれた人の方が詰んだ茶葉が綺麗に揃っていることなんてよくありますよ。

次郎さんの話に、冨澤さんもうなずいていました。

二人のような「つくり手」の周りにはきっと多くのファンが集まり、新しいつくり手と楽しみ手の関係が生まれていく。
厳しさを抜けた先にある、お茶の未来の光を見た気がしました。

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共通点③:お茶の前ではとことんオープンで謙虚

平たい言葉で言うと、二人とも「こだわりが強い」茶農家だと思います。
そしてお茶の世界にはこだわりが強い茶農家、製茶問屋などのプロフェッショナルが多く、お茶に関しては意見がぶつかる場面にもよく遭遇します。

しかし同時に、惹きつけられるお茶の「つくり手」は、お茶が好きということに加えて、お茶の前ではとことんオープンで謙虚という共通点を感じます

この対談も、始まってすぐに冨澤さんから、
「今日は次郎さんと話ができるのが本当に楽しみでした。」
「次郎さん達のやっているぐりむの形、僕は本当にあれが羨ましくてすごいと思っている。」
という言葉が飾りなく出ているのを聞ききながら、同世代の茶農家の先進的な取り組みをジェラシーで終わらせるのではなく、自身のお茶づくりのためのいいモチベーションやエネルギーに変えていく冨澤さんの姿がとても素敵だと感じました。

次郎さんも、ぐりむでともに働く、現在21歳の杉山忠士さんの話題となった時、次の話をしてくれました。

僕なんかはいろんなことをやっているように思われがちだけど、ただの農家。ただお茶をつくるだけ。周りの人が色々とやってくれるので、マスコット的に今日みたいな場に呼んでもらえるような立場かなと思っている。
一方、忠士なんかはセンスも違うしすごくかっこいい。
お茶を淹れる姿とか見せ方とかが自分の中にちゃんとある世代。
彼らと比べたら、自分なんかはただの農家のおっさん。笑
(筆者注:次郎さんもちゃんとカッコイイです!)

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お茶と向き合った時に、とことんオープンに慣れる二人はかっこいいです。
しかし、ここで終わらないのが二人の共通点。周りの「つくり手」に感じた対して抱いた感情を、「いいエネルギー」に変えてさらに前へ進んでいっています。

そういう若い人たちが増えてきた時、僕ただのおっさんになっていく。
でもその時、自分が彼らに何か負けないことがあることがるとすれば、それはお茶をつくることかな。
もっと素敵なお茶の世界は若い人たちが表現してくれる。
新しい世界が広がってくると思う。


私たちお茶の楽しみ手は、難しいことは考えず、ただただお茶を楽しむだけでいいと思っています。

でも、もう一歩進んで、かっこいい「つくり手」を知り、出会えるって最高にワクワクするなと。

全国には、まだまだ私の知らない、かっこいいつくり手や名もなき職人がたくさんいるのがお茶の世界です。

日々のお茶を楽しみながら、そして「つなぎ手」の力も借りながら、これからも素敵なお茶のつくり手と出会っていきたいなと思えた1日でした。

最後に、素敵な対談を企画・進行していただいた「つなぎ手」であるRiCE.pressの舘崎さん、ありがとうございました。

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たかつ まこと
ごちそう茶事WEB:https://gochisochaji.com
三煎目ラジオ:https://twitter.com/3senmeradio

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