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宮田笙子さんの件についての考察~結局は金~

最近のニュースを見ていて感じること。
宮田笙子さんの件についての報道が非常に表面的。


  • ルールの議論

  • タバコの問題

  • オリンピック代表の剥奪は過剰だという意見


これらの議論には人道性の側面しかない。
法の支配が絡んでいるように見えても、解釈の余地があるため、最終的には感情論に帰結する。
このため、無限に議論が進行し、結論が出ることはない。
誰の意見も一理ありますし、誰の意見も完全には正しくないのである。

しかし、辞退という結果は当然の帰結なのである。
なぜなら、社会の特性がその結果を導くから。
つまり、金銭の流れに関わる問題なのである。

資本主義社会において、金銭の流れを脅かす事態を招いたことは非常に重大な問題である。
もし彼女が代表に残れば、スポンサーは計画通りに行かず、メディアは議論の的にしなければならなくなる。税金も簡単には投入できないだろう。

例えば、人気映画の主演俳優がスキャンダルを起こした場合も考えてほしい。
その俳優が出演する映画のスポンサーや製作会社は、そのスキャンダルによって観客が減り、収益が減少するリスクを負う。
そのため、スポンサーや製作会社は迅速に対応し、その俳優を降板させることが多いだろう。
これは、金銭の流れを守るための措置であり、資本主義社会では避けられない現実なのである。

それとこの件は何も変わらない。

オリンピックの代表になるということは、資本主義の先端に立つことを意味する。
年齢やアスリートとしての資質、オリンピックでの結果などは関係ないのだ。
金銭の流れを守り、体操競技における金銭的な求心力を保つために、政策者たちは最善を尽くすのだ。

多くの人がこの事実に気付いているものの、メディアは金銭の話を大々的に取り上げることができないため、この点には触れることができない。
そして、人道的な視点からの議論が今日も延々と続いていく。


しかし, 報道の偏りを感じずにはいられない。
有識者の意見ばかりが取り上げられ、次のような視点はあまり報じられていないのも資本主義の影響なのだろうか。


  • なぜタバコが吸える環境が存在するのか

  • 喫煙や飲酒を行いつつオリンピックのメダル争いに絡む選手のセンスや能力の凄さ

  • この件の報告者は身内であるはずだが、なぜ足を引っ張り合うのか

  • そもそも、本人の考えを先に報じないのか


金銭の話を避けるにしても、こうした視点を報じることで、メディアの報道に深みと面白みが加わると思うものだが。

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