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自分と環境の境界線

おはようございます。

時々ヘンなことを考えます。

自分の目玉は、太古の昔
恐竜のしっぽだったかもしれない
ということを考えます。

恐竜は死んで大地に帰り、
大地の成分から
人間である私はできているからです。

輪廻というか、自分は環境の一部というか、
そういう感覚を持ちます。

それだけ、環境と私は一体と思っています。

それは、
宇宙飛行士の宇宙服の構造を
思い浮かべればより分かります。
宇宙服の中は、空気や圧力、温度、湿度など
人間が生きていける地球の環境を
そのまま持ち込んだものです。
それがなければ人間は生きていけません。
それだけ環境と人間は一体です。

けれどもと、養老孟子さんは言います。

人間は唾が口の中にあれば違和感ないが、
一旦口から出ると汚いものと嫌悪感を抱きます。

それだけ、自分と自分以外を区別して、
そこには厳然とした境界線があります。

それは、人間の業だとも言います。

人間と環境は
切っても切れない関係であるにもかかわらず、
人間は環境を別物と切り離します。
そこに、環境問題が生ずると説きます。

談志師匠は、
「落語とは、人間の業の肯定である」
と説きました。

養老孟子さんと談志師匠は
別の世界の人ですが、
お二人とも人間の業ということに
行きついたのですね。

今日もよろしくお願いします。

安島

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