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砂の女

おはようございます!

100分de名著が久しぶりに面白い。

安部公房の「砂の女」を取り上げています。

社会のしがらみに疲れ飽きた男が、
自由を求めて砂丘のアリ地獄に
落ちてしまいます。

穴から出ようとしますが、
砂に埋もれて出られません。

砂粒は男が求めていた自由を
表現しているようです。
あり余る自由はあるのですが、
自由すぎて自分を見失いそうになります。

自由にしてよいよと言われると、
自分の軸がないことに気が付き、
干からびた気持ちになるものです。

その男は、自分を見失い、あろうことか、
自分を縛り付けるものとして忌み嫌っていた、
○○学校の俺だ、
税金を払っている国民だ、
きっと学校の仲間が探してくれるに違いない
とわめくようになります。

自由とは恐ろしいものですが、
それでも私は自由を求めます。

加えて、穴の底には、女がいます。

男は女に向かって、自分のことを、
社会で確固たる役割や地位があると
小賢しく喚き散らします。

のどが渇き、腹も減っているにもかかわらず、
男は理屈をこねくり回しています。

そんな男に女は、
「さっ、ご飯の支度でもしましょう」などと
男の小賢しさとは裏腹の
動物的な言葉を投げかけます。

人は偉そうなことを言っても、
まずは動物であることを突きつけます。

私はそれを山岳部で学びました。

腹が減った究極の状況では、
飯の盛り方一つに大の大人が視線を凝らし、
ちょっと具が少ないといったことで、
大げんかになります。

太陽に照り付けられ水が不足すると、
一般登山客の捨てた
空き缶の中に残る水滴を
恥ずかしげもなくすすってしまいます。

「砂の女」がつきつける、
頭で考える自由のもろさ、
動物としての本能のしつこさが
とても私の腹に落ち、得心します。

安部公房を読んでみたくなりました。

今日もよろしくお願いします。

安島

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