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「たいせつなこと」についてあれこれ考えた。

こんばんは。尊田です。

昨日の記事で「絶対に『まぁいっか』ですまされない」大切なものを明確にしていく、という趣旨のことを書きました。
(画像を作られたクリエーターさんから記事にコメントをいただきました。ありがとうございます。コメントへのお返事の仕方をマスターするまでもうしばらくお時間ください(^◇^;))

絶対にゆずれないこと、
本当に、本当に大切なことが、はっきりとわかれば、
それ以外のことに振り回されることなく、
その、本当に大切なことにエネルギーを注げる。

そうするときっと、
それは自分にとっての幸せな人生だし、
そうすることが、
自分自身を大切にすることになるのではないかな?

という趣旨で書きました。

「自分を大切に」って、
いろんなメディアでいろんな方々が言ってます。

自分も職業柄、
ご相談にきてくださった方によく言います。

でも、
いったい何をどうすることが、
自分を大切にすることなのか、
正直よくわからなくなることがあります。
自分自身のことなのに(^◇^;)

たぶん混乱しているのだと思いますし、
感覚が鈍っているのだと思います。

でもそれって、
ある程度はしかたのないことなのかもしれません。

だって僕たちはとっても忙しい。

仕事は次から次にある。

時代は目まぐるしく変わり、
その都度「やらねばならないこと」が増えていく

情報は溢れかえってる
読まなきゃいけないネット記事も、
返信しなきゃいけないメールやLINEも、
テレビも動画もFacebookも、
(もちろんnoteも^^;)

だいたい、タスクリストを上手につくるための本を読むことをタスクリストに入れて、もう何年も経つ。
そうしているうちに、次のタスク管理アプリに課金している

締め切りも続々とやってくる。
おせちの注文もお歳暮の注文もしていないうちに早割の期限が過ぎてしまった。いそがないとスタバのキャンペーンが終わってしまう。そろそろ確定申告の準備をしておかないとまた慌てることになる。

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そんなだから僕らは混乱してしまうし
あまりにも沢山の情報があり、
あまりにも多くの判断を求められるから、
ある程度は感覚がにぶっていないと、
たぶん刺激が痛すぎて、おかしくなってしまうのだと思う

だから、人間の適応能力の1つとして、
「常識に(あえて)縛られる」
「“みんな”が言うからそのとおりにする」
みたいなことが普通になっているのかもしれないし、
感覚が鋭敏なままの「真の芸術家」肌の人は、周りの人や社会との適応に苦しんで絶望するのかもしれない。


ちょっと話がずれたかもしれませんが(^◇^;)


自分としては、
混乱のさなかに、
ちょっと落ち着いて、
情報を取捨選択して、
感性を(おかしくならない程度に)
生き生きと回復させていきたいなとおもいます。

そうすれば本当に大切なものが見えてくるし、自分も大切にできる気がします。

こう書いてしまうと、何やら壮大なことのように思えてしまいますが(だから、これまで手をつけなかったのかも、ビビリだから^^;)今思うと案外、身近なことの積み重ねでできるような気もします

1つ1つの、
うれしいとか、
たのしいとか、
きもちいいとか、
ここちいいとか、

そういうことのなかに、
自分にとっての本当に大切なことのエッセンスがきっと入っている

だから、
自分にとっての
うれしいとか、
たのしいとか
きもちいいとか、
ここちいいとか、

そういうことをたくさんして、かきだして、
なんで、これがそんなにすきなのか、かんじてみると

ああ、
じぶんは、こういうことをたいせつにしてるんだな、と、みえてくるのではないかな?と思っています。

じぶんはどっちかというと、
これまでの人生
ビビリで考える時間が長くて、
悪く言えば頭でっかちだったので、

1つ1つ、
思いついたらできる範囲で、
ひょいひょいと楽しそうなことをたくさんして、
それをnoteなどでアウトプットして、
そこから「たいせつなことエキス」を抽出していけたらと思います
「大切なこと探しの旅」とでもいいましょうか^ - ^

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今日のプチ楽しいことは、牛タン定食です

牛タンが、しっかり焼いてあるのに、サクッと噛み切れてきもちいです(^.^)
糖質制限中なのに、ごはんのおかわりがほしくなりました^^;

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