三国志×経営 第9回「長きに渡る悪習慣を断つ」
さぁさぁやってきました三国志×経営の第9回です。
本日は「あなたは長らく続いてきた悪習慣をやめさせて変える事ができるかどうか?」という事を考えさせられるエピソードを横山三国志から見ていきましょう!
饅頭(まんじゅう)の由来となったエピソード
蜀(しょく)の諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)たちが行軍していると、とある地域において川の近くに祭壇がまつられている何とも不思議な光景を目にする機会がありました。
この地域の事を良く知るものが言うには
「この河には昔から荒神がいて祟りをいたします。49人の首をお供えする事で祟りをしずめるのです」
というではないですか!?
今で考えると台風のような強風が直撃しやすいような地域だったのでしょうか?毎年49人もの首がお供えとして捧げられるなんて事が行われていたのです。
あぁ、恐ろしい…。とはいえ長年行われてきた行事だけに理由なくやめさせる事も難しいのでしょう。
そのような人が人として扱われていないような悪習を聞いて、諸葛亮は心を痛め、これはどうしたものだろうかと悩みます。こんな行事を続けていてはいけないと。
そして諸葛亮が考えだしたのが小麦粉の中に肉を詰めて丸めたものを人の首の代わりにお供えするというものです。
そう、これこそが饅頭(まんとう)でした。「頭」をずと読んでそれがなまって「まんず→まんじゅう」となったのではないでしょうか?
今でいうおまんじゅうというよりは肉まん(豚まん)のようなものだと思います。
何はともあれ、以後この地域では人の首を供えさせるのはやめ、代わりにお饅頭を供えるようになったとの事でした。めでたしめでたし!
本質は残しながらそのやり方を変えさせた諸葛亮
このエピソードは簡単な事のように見えますが、とても素晴らしいですよね?
この地域の村人は毎年同じ時期になると今年は自分がお供えに抜擢されるのではないかと恐怖だったでしょう。しかし、お供えをしないと祟りを避けられないと信じられていただけに他の人たちもやめるにやめられないという状況だったと考えられます。
悪習を撤廃し「お供え」という行いの意味は崩さないで代替案を実行
そういった状況下で単にお供えするのをやめさせるだけではなく、お供えの代わりとなる方法を考え出してそれを実行させるようにしたのでした。
さすが僕らの諸葛亮先生!凄いや!!
経営においても同じような事が起きているのではないでしょうか?
効率の悪い作業があり、それをやめさせるというだけは簡単な事です。しかし、そのバックグラウンドや本質的なところまで考えてこそベストな解決方法となるのではないでしょうか?
単に目の前の事象だけに目をやるのではなく、少し目線を引いて考えてみる事こそ経営においては大事ではないでしょうか?
という事で第9回はここまでです。
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