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1on1と我と汝とぶつかり稽古

安田です。株式会社iCAREでVPoEをしています。

私は株式会社iCAREのVPoEとして開発メンバーと直近では毎週1on1を7回から多いときで14回程度行ってます。
今日はその1on1について考えていることを書いてみたいと思います。
ただ1on1の仕方やノウハウについては多くの人が書いていますし、特段そこに付け加える何かを持っているわけではないので、今日は自分が1on1にどのような姿勢で向き合っているか、について書いてみたいと思います。

人と世界の関わりかたには二通りある

ただ、その前に私の話の前提となるブーバーの著作「我と汝」について簡単にお話してみたいと思います。

ブーバーは人と世界の関わりかたには二通りある、といいます。「我-それ」と「我-汝」です。
対人関係に限定して考えると、おおまかに以下のように言うことができると思います。

私の何かを達成するための手段として他人を見る時、相手は人格を失った「それ(道具)」として現れる。それが「我-それ」の関係である。

しかし、人を自分のための道具とせずに、その人の何かを実現することを目的とする時、簡単に言えばその人そのものを目的とする時、人は人格を持った「汝(あなた)」として現れる
それが「我-汝」の関係である。

「我-それ」に陥る危険

当然ですが「我-それ」の関係は、精神的に貧困な世界しか産み出さず、人を不幸にします。

特に組織と人は、この「我-それ」の関係に陥る危険をはらんでいます。組織が「利益」を追求する時、利益追求が「目的」とされ、組織の構成員がそのための「手段」と考えられることによって組織と人の間に「我-それ」の関係が生まれます。それがそのまま上司と部下、同僚間にも伝播すれば、すさんだ世界が生まれます。

私は、1on1は、この「我-それ」の関係に陥りがちな組織の人間関係を、常に「我-汝」の豊かな世界に引き戻すよい契機であり、仕組みだと考えています。

全人格に対して責任を負う

私は、1on1はその人が生まれてから現在まで(過去)と、現在から死ぬまで(未来)の結び目における一人の人間と一人の人間の対等で真剣な向かい合いだと考えています。
当たり前と言えば当たり前のことかもしれませんが、単に仕事上の調整とかノウハウの話を越えて、相手の全人格(汝)に対して「責任」を負った貴重な時間だと考えてます。

私と1on1をされた皆さんの「いや、おれはそんな風に考えとらんて」という声が聞こえてきそうです。もちろん私も「全人格」といって個人のプライベートに土足で踏み込むようなことはしたことはありません。
あくまで「仕事」という面を通して、相手に最大限に真摯に向かい合う、という意味で、全人格に「責任」を負う、と考えています。そして、それが1on1を「成長を促す場」として底支えすると考えてます。

ぶつかり稽古

だから1on1は非常に疲れます。
ぶつかり稽古みたいなものだと感じてます。
1on1では私と相手は言わば対等な関係であるべきだと思ってます。上下関係や利害関係を前提にすれば、相手は本気でぶつかってきてくれないからです。変な配慮とか諦めが入り込めば、せっかくの貴重な時間が損なわれます。
だから1on1では私は、部下の立場である相手に足をすくわれて転がされることも多々ありますし、突っ張りの連続で土俵から押し出されることもあります。逆もしかりです。
でも、そうすることで相手も自分も強くなったり、問題を本質的に解決できるのだと思います。また、この1on1の時間そのものが「白熱」であり、「喜び」そのものであるべきだと考えてます。

このようにして真剣にぶつかり合って、信頼関係を築くことが、事業をドライブすると考えてます。結局、人は道具(それ)として利用される時に最大限に力を発揮することはないからです。人格(汝)を認められ、その人の未来、成長、幸福を真剣に「配慮」されたときに、組織や事業への貢献を重要視し、最大のパフォーマンスを発揮するのだと思います。

一本背負いを食らう覚悟

1on1について熱く語ってしまいましたが、実態はそんなたいしたことはないかもしれません。「全然準備とかしてこないじゃないですか!」とか「あんまりたいしたこと話してなくないですか?」とか。
まあ、ここに書いたことはあくまで僕が考えていることであって、実態と乖離してるところはあると思います。なので、このブログについては、1on1でそれぞれのメンバーから私に向けての厳しいフィードバックが待ってるような気もしてます。

もっとよい1on1をするためにメンバーからの厳しいフィードバック、待ってますよ。一本背負い食らう覚悟で待ってます!

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