会話の持つ有害性

「これ読みなよ。君に役立ちそうな事が書いてるから」


以前に善意からそういう風な事をしていた時期があったのだが、結論からいうとこの関係は全く成立しなかった。


これは自分自身もそうなのだけど、他人から勧められた本というのは読めない。小説なんかその最たるもので、面白いよと言われて小説を渡されるのは負担以外の何物でもない。


相手は感想を聞きたくてウズウズしているのだろうけど、こっちは感想を求められる時点で負担だし、そもそも読むもの負担である。

こんなにズシーンとした重しをのっけてきて、かつ善意で「面白かったでしょ」なんてキラキラした目で尋ねられてきたら、多くの人はウッ…となるに違いない。


本を相手に渡すのと言うのは一種の暴力のようなものなのだ。「なんか面白い本あった?」と聞かれたのなら答えてもいいけれど、逆にそれよりも「最近なんか面白い事とかあった?」と聞いた方がよっぽど無難である。


だってみんな、自分の話を聞いてほしいのだから。


会話はショーケースの陳列みたいなもの

人間は言語でコミュニケーションをとる不思議な生き物である。

カロリーベースでいえばだ。話すというのは情報をわざわざエネルギーを使って音に変換する作業である。


だからコストという意味では話すことは聞くことよりも、逆に億劫な行為になってもおかしくはない。それなのに…自分の知る限り、人の話を聞くという事が好きだという人は例外で、話したい人の方がよっぽど多い。


なぜ人は話したがるのか?なぜ人は聞きたがらないのか?これは会話という行為が何に基づくものなのかを理解できれば、納得ができる。


会話とは…実は単なる

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表ではあんまし大っぴらに書けなさそうな事を中心に書いていきます。会員が増えたら講演会とかお食事会でもやりましょう。

更新頻度は週3~5を目標。 最近思っている事を軽い読み物タッチで書きます。記事をTwitterにて言及頂ければ基本的にはRTしますので、そ…

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