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わかったようなわからないような....人間活動における理性 (既存の邦題は「意思決定と合理性」)ハーバート サイモン 訳:山形浩生

ありがたいことに山形浩生さんが訳しなおしたバージョンが無料で公開されている。かつイチオシなので、まず読んでみることにした...が、自分が普段読むようなものとはだいぶ違っていろいろ戸惑っている。

苦労していたら山形神からアンチョコが公開されたので読みましょう

テーマ:人間にとって合理的とはなにか

講演全体のテーマは、「人はどうやって行動しているか」のようだ。
人は完全に合理的に動くわけではないが、おおむね合理的に(トクをするように)動くとされている。だが、生物としての人間は誰もがかなり一様で、必要栄養素やカロリーはあまり変わらないのに対して、レストランのメニューが無限にあるように、そのとき選択されるものはかなり違う。
では、合理性は人々ごとに違うのか、合理性と直感や情動はどう関係しているのか、合理性は進化や淘汰されるのか、がテーマだ。

これは抽象的なテーマで、書きぶりも抽象を積み重ねてあるので、僕は苦手でちゃんと理解できたか自信が無い。「ゲーデルの不完全性定理」「個人がライプニッツ的なモナド(なんか小さな固い球みたいなものです)」みたいな言葉が注釈抜きに単に「ゲーデルの指摘した...」として出てくるので、そもそもその定理やモナドがなんだかよくわかってない(Wikipediaを読んでもやっぱりわからない)僕はけっこう苦労しながら読んだ。

今noteを書いているのは、内容は面白かった気がするのでシェアしたいと思ったことと、何よりもメモを取りながら読まないと自分はついていけなかったし、ちゃんと理解できたか怪しいので残しておきたいというモチベーションによる。

普段はアタリマエになっていて意識しない「合理性」が、どうやって積み上がってきたのかを改めて再定義するような文章だと思う。同じく山形さん訳のデネットの「自由は進化する」とちょっと似ている。
「コモンズ」みたいな新しい考え方の紹介でも、「貧乏人の経済学」みたいな思い込みを逆転させるような文章でもなく、結論は「そりゃそうだよなー」というところに落ち着く。
とはいえ、
・合理性は便利な道具(なにしろ、効率が上がる。合理性を意識してないと仕事もできない)だけど、使える対象は限られている
・自分の合理性と相手の合理性は違う(かもしれない)
・どっちが正しいかはわからないし、タイムスケールを伸ばすとさらにわからなくなる
・その程度しか役に立たない合理性でも、磨けばよりよくなる
などは、ついつい忘れがちなことだ。

僕自身は「目の前にあることがすべて。2歩目は1歩進んでから考える」毎日を続けているけど、自分がどこに向かっているかのコンパスはむしろそういうときのほうが大事だ。

文章はこんな感じ

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↑本書の一部。特に難しいところを選んだわけじゃない(と思う)。文章はすっきりしているけど、抽象的なテーマと範囲が広く僕に馴染みの無い単語(「公理」と「推論規則」とか、「理由づけのテコが乗っかる支点」とか)が多い。おそらく、「ロバストな合理性」みたいなことを扱ってるんだろう、みたいなことだと思っている。

読みながら取ったメモ(要約も感想もごちゃまぜ)

第1章 合理性のいろいろな見方

1.1 理性の限界
理性(合理性)=数学みたいに、誰にとっても同じもの なのか?
実際は違う。なぜなら理性の軸足になる事実の捉え方が人によって絶対に違うから。

1.2 価値観
合理性は道具のようなもので価値判断を含まない。入力によっては合理的に酷いことも起こす。(民族浄化とか)
理性と道徳を一緒にするのは間違いだし、同じ行動(借金して投資)が奨学金とギャンブルで別の価値になることはある
そういうバラバラな価値観を、一つの関数(効用関数)に押し込んで判定するSEU理論というものがあって、SEUはパワフルで便利だ

1.3 主観的期待効用 (SEU)
僕はこの単語自体初めて知ったけど、要は評価関数と遺伝的アルゴリズムみたいなもので、うまくすると多様な結果を一方向に並べて評価できて便利らしい。
たしかに、「よい会社」の定義は難しいけど「利益向上」は定義できて、そこにリストラも新製品開発も営業強化も、反対方向の選択肢を含められる。が、そのやりかたが最善ということはなさそうだ。また、事実の認識が人によってバラバラなことから、SEUが効果を出さないことは多くありそうだ。

1.4 行動主義的な代替案
人間は別々の様々な意思決定をしているし、重要な意思決定でも完全な予測に基づいてやっているわけではないし、意思決定時は様々な要素をかなり恣意的に単純化しているし、決定のために情報を集めてる時点で、集まった情報に基づいて決定は左右されてしまう。
そういう、限られた範囲での合理性、SEUほどなんでも適用できるわけではない合理性を、限定合理性と呼ぶ。(行動経済学の行動に近いのかな?)
ところが、そういう限定合理性でも、状態は常々変わるので、一つの固定した誰にでも適用できるものにはなりえない。

別の意思決定/行動プロセスで、直感がある。直感は充分なデータが溜まって抽象化されたときに起こるようだ。その意味では思考と直感の間に矛盾はない。
直感とは別に、感情というものもある。感情による処理も、合理性の中に含めるべきだ。
感情はある程度教育でコントロールされたりもする(道徳みたいなもの?)が、これも合理性の対象から外すのはおかしい。
「わくわくすると勉強が進む」ようなことはある。なので、そうしたモチベーション、情動も合理性には含まれるべきだ。そして、感情や情動をどう扱うかについては、古代ギリシャでも今でもそこまで進歩してない。

1章、結論だけを見ると、すごくわかりやすい。デネット「自由は進化する」とかと似てるところがあるんだろう。

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第 2 章 合理性と目的論

2.1 合理的適応としての進化
進化は適応のために起きるので、進化のプロセスがわかれば、合理性の説明になるのでは?(この場合の進化は、生存のための工夫ぐらいでもよさそう)
2.2 ダーウィンモデル
突然変異→選択のプロセスで生き残りが決まる
ちょっとでも適応性が高いと、世代ごとに福利で個体数に差が開いて決定的なものになる なので、適応性という考え方はハッキリ結果が出るので強力。
適応するためには、競争に勝つか新しいニッチを見つけるかの二択
だが、種が増え続けてきたことと、ほとんどの種が絶滅したことを両方満足させる仕組みとは?
2.3 社会と文化の進化
ダーウィンのモデルはあくまで遺伝子を対象にした進化だが、社会制度や文化など、他のものに適用できるか?
できなそう。モンゴル帝国が一気に広がったことと、その後の縮小は遺伝子の考え方で適用するのは無理がある
2.4 進化過程における利他主義
短期では個人に損になるが、長期で種全体的にプラスになる利他主義のようなものが考え方に組み込まれているほうが伸びるが、そこにどういう報酬系を設定すればいいのだろう?
個人に限定しても、苦手な勉強やスポーツに、最初は嫌々ながらも取り組むみたいなことがその後を助ける。つまり、初期の損を後で埋め合わせる、アドバイスを取り入れるみたいな要素も報酬系にしなければならない。
2.5 進化の近視眼性
そういうことを考えると、生物学的な進化はすごい強力な仕組みではあるけど、人間活動にそのまま当てはめてしまうのはまずそう。
2.6 まとめ
進化のモデルは強力だけど、局所解に陥ることもあるし、人間活動にそのまま当てはめるのは難しい。
変化すること、多様であることは大事。だから種は多様になってきた。
新しいニッチを探すことも大事。だから種の生存する範囲は広がってきた。ただ、社会の進化はそれだけでは説明できない。どこかの部分だけに適用できる合理性が、局所解となってしまい、別のパラダイムシフトが起きて進化をさらにすすめるようなことが、人間社会では起きる。

第3章 社会活動における合理的プロセス
現状は民主主義の国が多いのだから、個人の意思決定だけを対象にすれば充分では?
だが、個人は社会の鏡なので、そうもいかない。個人と思っていることの多くが社会の反映で、完全な独立を探すのは難しい。市場はかなりロバストに機能するが、それも社会の一部に過ぎない。公共財のように価値あるものにお金が払われないことも多くあり、市場さえ見ていれば社会がわかるとは言いづらい。
3.1 制度的合理性の限界
社会システムはある程度の合理性を担保するが、民主主義と言っても各人が社会全分野に関心を持つのは難しいし、システムは変化に対応しづらいという問題がある。個人同士の関係でも、囚人のジレンマのように極所でハマることがある。
3.2 制度的合理性を強化する
市場はほとんどの場所でかなりうまく機能する仕組み。また、オペレーション科学などの仕組みもそれなりに有効に機能する。コンピュータを使った分析は世界的な問題に対して良い効果を上げている。なによりこうしたツールの進化は、「合理性が進化している」という証でもあるのでよい。
3.3 公的情報のバイアス
合理性を支える重要な要素である政府機関、マスメディア、専門家はそれぞれ何らかのバイアスがかかる。局所的に正しくて大きくはダメなこともある。人任せにするという方法はうまく行かなそうだ。

結局のところ
僕らの理性は、どこでもロバストに通用する永遠不変の真理みたいなものにたどりつくものではなく、限定された局所的な場面で、ゴールにたどり着く道具として機能するにすぎない。
ただし、理性は個人としても、社会全体としても進化する。それは社会が進化するからでも、技術が進化するからでもある。
それぞれは違った目的で理性を行使し、結果として別のゴールや別のやり方を目指すことでぶつかることも多く、それを理性は解決してくれないが、そうやって多様な目標が出てきて広がっていくことは正しいことである。どれが当たるかはわからないし、タイムスケールを伸ばせばよりわからない。なので、「他の人が悪く考えているように見えても、実は彼なりの正しさがあるのかもしれない。」と、絡み合うそれぞれを認めつつ、自分たちは自分たちの知性と理性を磨きながら試行錯誤を繰り返すしかない。


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