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今の日本に最も必要な科学的思考、社会へのエンジニアリングのかたまり 「貧乏人の経済学」パナジー&デュフロ著 山形浩生訳

行動経済学についての多くの思い込み

「人間は損得だけで動かず、好き嫌いや思い込みを反映して行動する。だから、純粋な損得だけでなくて行動を加味して考えるべきだ」という行動経済学は、この15年で3人ものノーベル賞受賞者を出し、すでにブームになっている。
実際、行動経済学の分野では面白い本がたくさん出ている。カーネマンの「ファスト&スロー」ほか、そうした名著を読むと自分がそういう思い込みの罠に落ちていたことがページをめくるごとにわかって気持ちいい。

ブームになったので、なにか政策が失敗するたびにナッジだのパターナリズムだのの用語を持ちだして賢しげに「こうすればうまくいくのに!」とコメントする人も多い。
(ナッジやパターナリズムは、思い込みを利用して成果を出すための仕組み。
ナッジ:
なにか得する行動をするような仕掛けをつける。たとえばトイレの小便器の中心にハエの絵を書くと、そこめがけて小便する率が上がってトイレがキレイになる
パターナリズム:
多くの人にとってオススメの選択肢に予めマルをつけておこう、たとえばレストランのメニューでヘルシーなものを目立つようにしておけば健康が改善するだろう)

でも、「そうした岡目八目のほとんどは間違っている」というのが、まさに行動経済学だ。ノーベル賞をとった学者たちは、実験でそうした思い込みの存在を証明し、うまく思い込みを利用して他人の意思決定や行動を変えさせることに成功したことで評価されている。
失敗した政策プロジェクトがあるなら、思いつき解決策を口走るのでなく、「原因はなんで、その原因を突き止めるための実験を設計しよう」というべきだし、「自分自身がその問題について思い込んでることはなんだろう?」と考えるべきなのだ。

貧乏人は行動経済学的に僕らと変わらない

僕たちは最適な行動を、なぜか取らない。健康に危惧がある人も体に悪い食べ物を食べ、運動を習慣にしない。
やれば得になるはずの語学や筋トレも、ちゃんとやる人は稀だ。
予防接種も、受けない人が多い。今だってうがい手洗いマスク、どのぐらい徹底できているか。
もちろん、それができないのには理由がある。くだらない理由かもしれないけど、今日この瞬間勉強をサボる、筋トレをサボる、無駄遣いをしてしまうのは、その瞬間には合理的な理由があるからだ。

この「貧乏人の経済学」に出てくる貧困層(ブログでは本のタイトルにあわせて貧乏人と言おう)も、日々の生活もやりたいこともあって、長期で特になるけど今は面倒なこと手を出す余裕がない。そういう点では僕らと変わらない。
たとえば、病気になってから治療するより安上がりなので、政府は予防接種を無償にしたが、接種率は低いままだった。子供が病気になると(貧乏人にとっては)大金を払って医者にかかるので、その地域の貧乏人が、子供を軽んじてるわけじゃない。それでも接種率が上がらない。なぜなんだろう。どうすればいいんだろう。
多くの村で診療所は村の中心から遠く、かつ人がこなさすぎてオープンしてない日も多かった。予防接種を無償化するかどうかがその政策の中心だったが、それだけでは「みんなが予防接種を受けて医療費がトータルで減る」という目的は達成できなかったのだ。予防接種はすぐ効果が出ない。何度か打たないと意味がない。休みかもしれない診療所に何度も行くのは面倒くさい。僕らにとってのダイエットや自己啓発勉強と同じだ。貧乏人にもそれぞれの生活や娯楽がある。
著者のパナジーたちは、近隣の村をいくつもランダムにピックアップして、
A.そのままなにもしない
B.予防接種チームを村ごとに回覧させる
C.予防接種チームを村ごとに回覧させ、かつ予防接種を受けるごとに1kgの豆をあげる。(この1kgの豆は、現地でも時給1時間に満たないぐらいの、本当にしょぼいオマケ)
の3つのテストを行い、結果としてもともと1%程度だった予防接種の接種完了率を、Bで17%、Cで38%と圧倒的に向上させる。
では、ABCのなかで一番予算が少なかった政策は? なんとCである。この場合に一番のコストになるのは予防接種スタッフの人件費で、回覧の移動手配にかかるコストやしょぼいオマケのコストは、仕事が早く終わって節約できた人件費に比べたら、遥かに安上がりだった。

科学とエンジニアリングの力をちゃんと理解し、実践しよう

この本はそうした多くのランダム化比較試験と、その結果に満ちている。貧乏人も僕らと同じようにいろいろな問題や思い込みに囚われている。そうした事情は本人たちにもわかってないかもしれないし、外部からではもっとわからない。
なので、著者たちはアフリカで、インドで、様々な問題に対して、様々なランダム化比較試験を行って解決しようとする。そのなかで、貧困問題に対して僕らが描いているステレオタイプはどんどん打ち壊される。でも、この本の最大の価値はその向こう側にある。

結論として導き出されるのは
・どんな問題にも効く対策というものはない。
・どうやれば社会が成長するかというマニュアルはない
・でも、援助や対策で社会を成長させる、使った分以上にリターンを得ることはできる。アフリカでの実験で年2ドルの虫下しを2年飲ませることに成功した人は健康になった分400ドル以上も働いてお金を稼ぎ、国は豊かになった。
・そのために必要なことは実験と実践であり、空論と思い込みをやめることだ
というメッセージだ。最終章のタイトルがわざわざ「網羅的な結論にかえて」となっているぐらい、著者の科学的思考は徹底している。

そうした実験は新薬開発時の治験ABテストのように手間がかかり、面倒くさい。生きた人間たちをそうやって無慈悲にモノ見たいに扱っていいのか、という批判もありそうだ。
一つ一つの進歩は哀しくなるほど小さい。生死にかかわる予防接種でさえ、タダにしてあげて、ノーベル賞学者を投入して村を巡回して、オマケまでプレゼントして、やっと38%。100%でも、過半数ですらない。しかもこの対策はこの地域の問題限定で、他ではまた実験から再スタート。
でも、生きた人間を相手にした世の中の問題は、そういう速度でしか改善しないのだ。今回の新型コロナの問題でも、安易なゼロイチで判断する人、「わからないことが多く、ゆっくり着実に知を発展させるのが大事」に耐えられない人がどれだけ多いことか。
こうした実験があるから、援助がはじめて科学になる。実際にランダム化比較試験を繰り返したことで、医学はそれ以前よりも、劇的に進化した。もっと実験がかんたんな分野、例えば工学などでは、もっと短期間に劇的に進化している。他の分野もそうなるとよい。

著者のTEDトークでは、様々な興味深いエピソードを紹介しながら、何よりも実験と実践を訴えている。それはエンジニアならグッと来るメッセージだ。

網羅的な結論に変えて-本書のわかりやすさと美しさ

400ページ近い本書だが、内容はわかりやすいし、何より面白い。無料公開されている「はじめに(PDF)」から、もう面白いし、文章も明快で親しみやすい。元の文章も訳も良いのだと思う。この本の山形さんの役者解説も、他と同様面白いけど、本文はなんというか全ページスゴみがある。
援助によって問題を解決したいという想いは充分に伝わってくる。でも、これまで紹介してきたような姿勢で、押しつけ感はない。人間をモノ扱いして実験する冷徹さはある。でも、それはそれが結果を出すためのほかよりよいアプローチだという覚悟がある。その博愛と科学の両立が、この本にスゴみと親しみやすさを同時に与えている。

最終章「網羅的な結論に変えて」で紹介されている貧乏についての5つの教訓は、どれも僕たちみんなに当てはまるものだ。
1.貧乏な人は必要な情報を持っていない。
2.貧乏な人は人生についてあまりに多くの責任を背負い込んでいる。(たとえば貧乏人ほど借金の金利が高い)
3.貧乏な人が一部の市場にアクセスできなかったり、不利な取引をさせられることにはやむを得ない原因がある。
4.貧乏な国は貧乏だからといって失敗が義務付けられているわけでも、不幸な過去があるから失敗確実なわけでもない。
5.できないとおもいこみ、まわりもそう扱うと、ほんとうにできなくなってしまう。

そして、世界がまだ充分に良くならないのは、誰かの悪意のせいではなくて、普遍的な3つの I 無知ignorance, イデオロギーideology,惰性inertiaのせいだと結論づける。その3つのIには著者たち自身が抱えているものも含まれていて、この本の視点は最初から最後まで、真摯で誠実で優しい。僕たちは3つのIの反対、科学と実践と変化を受け入れるために、できないながらも日々せいぜい頑張るべきなのだ。それは、貧困問題以外の、人生のほとんどのことに当てはまる言葉だと思う。

分厚いし高い本だけど、Kindle版もあるしめちゃめちゃオススメです。今月ベストは間違いないし、ここ数ヶ月でもベストかもしれない...カーニハンのコンピュータサイエンス本とか、「都市は人類最高の発明である」とか、そうした殿堂入り的な面白さ。


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