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なぜ漢文を学ぶのか

昨今、学校教育における漢文の必要性についての議論をSNSなどでよく目にします。「漢文なんてやっても意味がない」だの「論語や孟子を教えたいなら現代語訳したものを読ませればいい」だのという意見を皆さんも見たことがあるでしょう。そう思っている方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、漢文は学校教育として行う価値があるものだと私は考えています。そこで漢文を学ぶ意義について、高校生の私としての意見をまとめてみました。専門的な知識はありませんが、日頃の受験勉強で感じたことを書きました。

①送り仮名への理解

そもそも漢文訓読とは白文に「送り仮名・返り点・句読点」をつけて日本語風に読むということです。そしてその内の一つである送り仮名について、『漢文法基礎』(加地伸行)には以下のようなことが書かれています。

さて、話をもとにもどすと、漢文では、この日本語における助詞・助動詞・活用の三点が欠けている。ということは、われわれが漢文を日本語として読むということの真相は、実は、この三者をつけながら読む、ということなのである。これが最大のポイント。そして、その三者(助詞・助動詞・活用)をつけたものを、送りがなと言うのである。

少し長い引用になってしまいましたが、ここに漢文訓読の最も重要な点が記されています。

すなわち、漢文訓読とは中国の古典を日本語化して解釈するということであり、その日本語化の最大の要素が助詞・助動詞・活用なのです。この三者が日本語を日本語たらしめる非常に重要な役割を担っていることは言を俟たないでしょう。漢文教育とはそれらを使いこなすためのもので、国語教育の一環に違いありません。

②熟語漢字への理解

皆さんは、漢文を勉強している際に馴染みのない漢字の読みに触れたことはありませんか?それらは恐らく表外読みと呼ばれるもので、常用漢字表に載っていない読みです。日常生活ではあまり使用しないものでしょう。

しかし、そのような表外読みも熟語や漢字の理解に非常に役に立ちます。「彙」という漢字を例にとってみましょう。この漢字は「語彙」という熟語で使われることが殆どだと思いますが、「字彙」や「彙報」などという熟語もあります。これらの熟語の意味は「彙める(あつめる)」という読みを知っていれば容易に意味が想像できます。また、「語彙」という熟語を「語(ことば)の彙(あつ)まり」のように訓読してみることで、熟語の構成も日本語としてはっきり分かります。

表外読みに限った話ではありませんが、漢字の読みを深く学んでおくことは熟語の意味を理解することに繋がります。漢文ではそのような漢字の読みを文章の中で触れることができます。

③漢文脈への理解

ご存知の通り日本は様々な文化を中国から取り入れてきました。漢文訓読もそれによって発達した文化です。そのために近代以前の日本では、日本人が文章を書く時も漢文風、すなわち漢文脈で書くことが多々ありました。欧米の文章を漢文脈で和訳したものもある程です。

そのため、漢文の素養は日本の古典的文章を読むために不可欠です。漢文を無みするということは、古代以来の漢文訓読という文化への軽視に留まらず、日本文学への冒涜に値すると私は考えています。

それゆえ、中学校・高校の国語の授業として漢文があり、日本人として身につけておくべきものであると思います。


以上の三点が私の考える漢文教育の意義の要点です。浅学非才の身ゆえ、至らぬ点もあるかと思います。この文章に誤りや反論がございましたらコメントでご指摘ください。

最後に、①送り仮名への理解の部分で引用させていただきました『漢文法基礎』についてご紹介します。この本は、東洋学者で大阪大学名誉教授の加地伸行氏が上梓されたもので、漢文読解について詳らかに記されています。漢文が好きな方も苦手な方にお薦めできるものです。


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