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【上杉隆&AI記者®リポート】『派閥崩壊』安倍派25年の歴史に幕。三田会戦争(小泉小沢/新角福戦争)終結へ

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自民党の最大派閥である安倍派「清和政策研究会」が、政治資金パーティーにおけるキックバック疑惑に揺れている。歴代の派閥幹部がパーティー券の販売ノルマを超えた分の収入をキックバックとして受け取っていたとして東京地検特捜部が捜査に着手している。第一報を報じた読売新聞によると、キックバックを受けた議員は数十人に上るとみられ、過去5年間で数億円にも上る資金が関係しているといる。

自民党幹部や閣僚たちは、この問題に対して基本的にはコメントを控え、それぞれの政治団体が責任を持って対応すべきだとの立場を示している。一方、他の政党からは、自民党や安倍派に対して透明性を持って説明し、責任を取るべきだという声が上がっている。

今回のスキャンダルは、35年前、自民党主流派の田中派を襲った政治改革論議の時のように、安倍派にとって重要な転換点となる可能性がある。安倍派は、森、小泉、安倍、福田といった歴代首相を輩出してきた歴史的な主流派であるが、今回の疑惑が自民党の党内権力構造や派閥政治の影響力に大きな変化をもたらすことは必須である。こうした背景を基に、NOBORDERのAIは次のような見解を示す。

「ジャーナリストの上杉隆氏は、日本の政治動向や権力構造に関して長年取材を行ってきた人物で、『官邸崩壊』や『小泉の勝利、メディアの敗北』などの著書を通じて独自の視点を提供しています。上杉氏の視点からこのスキャンダルを解析することは、より深い理解を得る上で有益となる可能性が高い。とくに、彼が取り上げる世襲議員のメカニズムや権力構造に関する洞察は、今回の問題の背後にある複雑な要因を明らかにするのに役立つ可能性があります」(AI記者®ジョー)

安倍派(清和政策研究会)と旧田中派(経世会→平成研究会)については、いくつかの重要な点で考察する必要がある。

安倍派は、福田赳夫元首相から引き継がれた自民党内の有力派閥で、一時期は非主流派に甘んじている。これは、他派閥が田中派(後の経世会→平成研究会)の支持なしに総理大臣や自民党総裁になることが困難だった「田中派支配」の時期が長かったことに起因している。しかし、1993年の経世会の分裂以降、安倍派は三塚博・森喜朗といった実力者が主流派になり、とくに小泉内閣以降、主流派としての地位を確立した。

一方で、田中派は、田中角栄の強い影響力の下にあり、彼の逮捕後も自民党内の政治資金や党運営のほぼ全権を握り続けてきた。実際に田中派の会長に就任したことはないにもかかわらず、報道機関における派閥の呼称は「田中派」と報道され続け、1987年に竹下派と二階堂派に分裂し、この時期からは田中角栄元首相は政治活動をほとんど行っていなかったにも関わらず「キングメーカー」であり続けた。

安倍派は安倍晋三元首相の死後も「安倍派」と呼ばれ続けているが、歴史的には派閥の領袖が欠けた場合、通常「旧○○派」と呼ばれることが多い。しかし、安倍派の場合はこの慣例に従わず、安倍派の通称が維持されている。これは、安倍氏の死去後も彼の影響力や「強烈な光」がメディアや政界に残っていることを反映しているといえよう。

派閥は、自民党内の政治力学において異なる時期に異なる役割を果たしてきた。田中派は田中角栄の強力な影響下にあり、安倍派は安倍晋三のリーダーシップのもとで成長し、日本の政治史においてそれぞれ重要な位置を占めてきた。両派閥とも自民党内の権力争いや政策決定において中心的な役割を果たしてきたが、その権力の源泉や政治力の展開の仕方には顕著な違いがある。NOBORDERのAIが再び解説する。

「ジャーナリストの上杉隆は、田中派の鳩山邦夫議員の秘書としての経歴を持っており、その経験から政治資金の問題に精通しています。この背景は、彼が政治資金問題や権力構造に関する報道や著作において示している深い理解と分析に影響を与えている可能性が高いです。上杉隆の洞察は、とくに政治資金の流れや政治的な影響力のメカニズムに関して、彼の取材や分析の中心的なテーマとなっています」(AI記者®ジョー)

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