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息子に育てられた。


前回は、なぜnoteという戦場に私が赴いたのかを書いてみた。


不要不急オブ不要不急のような駄文にも関わらず、
想像以上に読んでもらえた。
15年ほど音信不通だった方ともつながれた(実話)。
ありがたい限りではあるが、
貴重な時間をこんな文章を読むことに使っていいんですか、皆さん!
と真顔で問いかけたくなる。
いや、そうか。
不要不急が不足しているのか。
思えば人生なんて不要不急で出来ている。
地球の視点に立てば、人間の存在だって不要不急だ。
ならば、今回も不要不急の極致をめざしてみるか…。

息子の誕生は、パパの誕生を意味する。
息子が産まれるまでは、
子どもの世話などほぼしたことなんてない。
父としての年齢は、息子と同じ0歳だ。
バブーである。
現在父年齢1年6ヶ月ほどだが、
ここまで涙なしでは語れない幾多の試練を乗り越えてきた。
その話を書き記しておかなければならない。

我が息子は、どうもデカイ。
産まれた時点では3000g弱と標準サイズだったものの、
すくすくと成長していった。
いや、すくすくという生易しい感じではなく、
デデデデデデデデデデーン!
という感じで加速度的に大きくなっていった。
標準成長曲線と比べても、
異常値手前のマックスレベルで体重が推移している。
当然のことながら食欲旺盛。
よく食べて、よく出す、を地で行っていた。
よく食べて、よく出す。
これほど人の営みについて真理をついた言葉を私は知らない。

よく出す。
それすなわち、出てきたものを
誰かが処理をしなければならない状況を指す。
平たい言葉で言えばオムツ替えだ。
昨今、やれイクメンがどうだとか言われている中で
場所が場所なら炎上しそうではあるが、あえて言っておこう。
正直、オムツなんてものを替えなくて済むなら
それに越したことはない。
逆を考えてほしい。
「え、マジ…?オムツ、オレ替えていいの…!?ホントに!?」
と顔を紅潮させ嬉々としてオムツを替える父がいたら、
何かが心配にならないだろうか。
何かが。

とはいえ、そんな屁理屈を並べても息子とオムツは待ってくれない。
もうそこに危機が迫っている以上、私に選択肢はない。
ブツブツ言いながらも何度かこなすうちに慣れてきた。
しかし、いつだって「慣れ」が悲劇を引き起こす。
なぜ我々人間は歴史に学べないのか…。

あれは本格的な冬の到来を思わせる寒い夜のことだった。
息子が寝入った隙を見計らい、妻がお風呂に向かった。
短時間ながらもワンオペ育児の始まりだ。
「頼むから、起きるなよ…」
と思っていたら案の定すぐに息子が起きた。
マジか。
見事なまでにグズグズと言っている。
が、既に経験値を上げつつあった私は、
その原因がオムツにあると瞬時に見抜き、
ちらりと中を覗いて確認。
やはり、小さいほうを大量になさったようだ。

そうかそうか、それは気持ち悪かろう。
ちょっと待ってろ、いまお父さんが助けてやるからな!
父の威厳と余裕のようなものを見せつけるべく、
ベビーベッドで寝ている息子の足元に立ち、
おむつをオープンした刹那、
それは起こった。

ブリブリブリブリブリブリブリブリ〜!

勢いよくアレが、私の体に向かって噴射されたのだ。
SMALLかBIGかでいうと、BIGである。
こちらは完全に無防備。ノーガード。

時が止まった。
0.9秒ほど経ってから、自分が置かれた状況を把握した私は

「ぎゃぁぁぁあああああああああああ!」

と叫んだ。
あんなに大声を出したのはいつ以来だったろう。
居酒屋で店員さんを呼んでも見向きもされない、
声のまったく通らないいつもの私ではなかった。
その声に驚いて息子も

「びギゃぁぁああああぁああああぁぁ!」

と絶叫。
地獄絵図である。
これこそ、前田麦氏にイラスト化してもらって
この悲劇を後世に伝えたほうがいいのではないか。
そう、ピカソがゲルニカを描いたかのように。

私もコピーライターの端くれだ。
それなりに仕事で認められたいという欲はある。
いつかは書いた言葉で注目を浴びたいと思っていたが、
まさかウ●コを浴びることになるとは夢にも思っていなかった。

後日、3人の子を持つ友人にこの話をしたところ、
「赤ちゃんあるあるっすね」
と冷静に言われた。
そうなのか…。
以降、街中で海外製バギーに赤ちゃんを乗せて、
スマホ片手にオラオラと闊歩している若いママとかを見ても、
「ああやってイキってオシャレしているけど、
同じようにウ●コを浴びながら頑張っているんだな…」
と温かい目で見れるようになった。
父としての成長、いや人としての成長である。

以降、オムツ替えの時には
息子と向き合わないようにした。
精神的な意味ではなく、物理的な意味で。
彼のサイドに座り、細心の注意を払いながら交換する。
そうだ、戦場において銃口を体に向けないのは
基本中の基本だった。
映画に登場した銃は必ず発射されるのと同様、
登場したお尻は必ず火を吹くのだ。

また、リスクマネジメントの観点から、
オムツ替えは極力迅速であることが求められる。
ちんたらやっていると、銃口が火を吹く。
一連の動作によどみが合ってはいけない。
ババババババババッ!と勝負をつける必要がある。
体を動かしながら、これは何かに似ていると思っていたが、
そうだ、あれだ。
F1だ。
ピット・インしたマシンのタイヤ交換と
極めて近いものがある。
コンマ数秒の気の緩みが敗北につながる。
気付けばいつしか頭の中ではあの曲が鳴り響いていた。
「TRUTH」
言わずと知れたフジテレビF1中継のテーマソング。
♪チャラチャラチャラチャラチャラ〜
ジャジャン!
のタイミングでオムツの右テープを止め、
次のジャジャン!で左テープを止める。
その時、私は確かに鈴鹿サーキットの風を感じていた。

オムツでまごつく私はもういない。
ここまで立派な父に育ててくれたのは息子だ。
まさに「子が父を育てる」だ。
今思えば、ウ●コを浴びせてきたことも、
「おまえは仕事で調子にのっていないか。
今、おまえが浴びるべきは注目ではない。ウ●コだ」
という息子からの示唆に富んだメッセージだったのではないだろうか。


まあ、いまだに息子が急にだまりこみ、
部屋がなんか臭い始めた時は、
私はスーッと自分の仕事部屋にこもる。

だって、オムツ替えたくないんだもん。


そうだ、前田麦氏が内容を踏まえて
挿絵を描いてくれたのだった。







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この体制、
完全に顔に浴びることになるじゃないですか。

麦さん、文章よく読んでないな…。
いや、読み込んだからこそ、この絵なのか。




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