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共感経済へのアンチテーゼ

日本らしさをコンセプトに、
本当の意味での多様性を可視化をしたい。

多様性、ダイバーシティと言われるようになってひさしいものの、
実際のところ心無い差別や、受容できていないことだらけだと思う。

『リアルな世の中はとても偏っている。』
そんなことを言っていること自体、変わったやつだと思われるかもしれない。


あなたの考えは『常識』に基づいたものではなく、あなたの考えだ。


あなたの考えは、誰かに危害を与えるものでない限り、否定されないし、誰かの心を揺さぶるものであれば共感される。

多くの人は共感されないことの方が多いかもしれないが、だから何か悪いのだろうか?

共感されることが絶対的な正義なら、宗教観に疎い日本の人たちは、世界的には愚かな人たちになってしまう。

あなたは宗教観に疎いからといって、自分を愚かと思うだろうか?

一方であなたが共感できない考えが数多く存在しているのも、紛れも無い事実だ。

そして、あなたが共感できないものにあなたの光は当たりにくい。

ヒトは自分の慣れ親しんだ考え方や思考をより強固にしていきやすいからこそ、多くの偏りを知ることで、自分が偏りを認識できるのではないかと思う。

そして同時に、『偏っていること』ことが悪いことではないことを知れるんじゃないかと感じる。

端的に、自らが偏っていることを知ることで、他者が偏っていることを受容できるのでは?と思うからだ。

全ての人が同一の価値観で共感しあえることなんてあり得ないからこそ、今後共感というコミュニティ形成の在り方でより強固になって言った先にあなたと異なる意見をもった人に対して、共感はできずとも、異なる考え方を受容をできるあなたでいてほしい。

そしてその先には、
本当に多様性のある日本らしさがあると思うから。

世界はきっと、あなたと他者との総和だ。

これが私なりの
『共感経済へのアンチテーゼ』


追記

共感経済自体は素晴らしいものだと感じています。ただ自分が共感できないものは以外悪で排除されるものであるというのはちょっとなーと思うのです。

なぜなら自分が共感できなもの側の人たちからみたら、あなたも十分偏っているんだよ!ということに気づいてほしいから。

あなたの共感できないものが、倫理に外れていなく、誰かに何かの危害を与えるものでないのであれば、自分と違うことに対して理解をし『そういう考え方もあるよね。』と感じてほしい。

運転中、赤信号で停まっていて、後ろから車が追突しそうになった場合、あなたは、そのままブレーキを踏み続けるだろうか?

『常識』とは、ある前提条件のもと意味のあるルールなのだから、車が後ろから追突しないという前提条件もと意味のあるルールであるはず。

これからの時代は、後ろから追突されるのが当たり前の時代だとしたらどうだろうか?

世界は少しずつ気づき始めていると思う。


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